人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

思いやりの箱

果たして猫の知能とは、どれ程のものなのだろうか。

何かで「人間の2歳程度」と読んだような気もするが、2歳とはどの程度なのだろうか。

人を見分けることはできる。

もしかしたら匂いか気配かもしれないが、ちゃんと人を区別することはできていると思う。

ただし、「とーちゃん」「かーちゃん」「ねーちゃん」「あのおじさん」「この間の人」ぐらいで、あとはその他大勢である。

私と娘ぶー子を見分けていることは、態度が違うから分かる。

ぶー子は甘やかすのが嫌いなので、怒るときは容赦しない。そしてすぐに怒る。

その代わり遊ぶときも本気で遊ぶので、猫たちは「親分」とでも見なしているようで、腰が低いのである。

腰どころか、ひっくり返って服従のポーズを呆気なくとってしまうぐらいだ、そこにいるだけなのに。

しかし利口かといえば、実はあまり賢くはないように思う。

ダメと言っても覚えないし、すぐにパニックを起こすし。

犬のようなしつけは、猫にはできないと言っていい。

だからと言って馬鹿かといえば、そんなに馬鹿でもない。

しつけは難しいが、習慣づけならできない事もない。

大五郎だけだが、ご飯の前にお手とおかわりをすることができる。下手だが(笑)

つまり2歳程度とは、「叱っても覚えられない」が、「習慣づけなら可能」、「人の区別はでき」、「掃除機が怖い」というところか。

しかし感情は豊かである。

怒り、喜び、怯え。とても分かりやすいが、果たして「悲しみ」はあるのだろうか。

我が家では最初に2匹の姉妹猫を迎えたが、あとからエルが加わった。

それはもう大変な思いをして育ててきたが、それだけに、目に入れても痛くないほど可愛い。目に入れたら痛いだろうが。

エルが小さいうちは2階に隔離していたが、そのまま何となく2階はエルの領域になってしまったのだ。

姉妹猫たちは、エルだけが階段を上がっていくのを見ている。

そんな時、姉妹はどんな気持ちだろうか。

時には「私も出して」というように、ドアのところまで来ることもある。

しかしここで出してしまうと、彼女たちはエルに侵略された領域にマーキングを始めてしまうのだ。

なので今、姉妹猫が自由に行き来できるのは、1階に限られている。

寝る時にも私はエルを連れて行く。

自分が一緒に寝たいのもあるが、姉妹猫との関係がすこぶる悪いのでエルも2階に行きたがるのだ。

時間が来ると電気を消し、私はエルだけを連れて2階に上がる。

そんな時姉妹が、こちらをじっと見ている事がある。

むしろ、見ている事が多い。

「妬み」「恨み」という感情は猫にあるだろうか。

少なくともこれは「怒り」に変わり、あとでエルにぶつけられる。

エルは「怯え」、2階に逃げたがる。

その繰り返しであった。

私は責任を感じる。

平等に扱わなくてはいけないが、マーキングは深刻な問題である。

もうひとつ白状すると、外泊した日を除いてここ何年も、猫なしで寝たことがないのである。

そもそもオバケが怖いから欠かせなくなったのだが、そんなんで私には、マーキングをしない猫が必要なのである。

しかし原因は明らかに私だ。

責任も私だ。

何とかできるのも私しかない。

そこで考えた。

エルを連れ出す場面を、姉妹に見られなければいいのである。

猫はあまり賢くはないが、気配には非常に敏感である。

ただコソコソするだけでは感づかれてしまう。

そんな時、いいものが我が家に来たのである。

それは九州からのお土産だったが、今言いたいのはその土産の入っていたダンボールの方である。

縦横25センチ、高さ35センチのその箱は、エルが入るとちょうどスッポリ隠れる大きさであった。

私はこの中にこっそりエルを入れ、堂々と部屋を出るようにしたのである。

エルも心得たもので、この箱を見るとどこで寝ていても必ず起きて入ろうとする。

入るところは見られてはいけないので箱を物陰に置くが、それでも上手いこと入ってくれるので私はそれを荷物のように持って出るだけである。

それでも部屋を出るとき姉妹は、こちらをじっと見る。

果たして猫に「妬み」「恨み」の感情はあるのだろうか。非難するような目だ。

私はちょっとだじろぐが、いやいや、見えていないはずだ、と言い聞かせて部屋を出る。

果たして猫の知能とは、どれ程なのだろうか。

ところでその「思いやりの箱(または欺きの箱)」だが、両手に抱えて持つと、ちょうど骨壷を入れる箱を持っているような感じになるのだ。

毎夜、とても悪いことをしているような気持ちになる。