無口であった。
おととい、晩ご飯を食べに下りてきた娘ぶー子はほとんど口を開かず、何か言ったかと思うと聞き取れないほど小さい声でボソッと口からこぼれ出る程度であった。
これは・・・相当参っているな。
ぶー子は時々このように、非常に非常に落ちる時がある。
とってもとっても分かりやすいが、とってもとっても扱いにくい。
もう17なのだ。放っておいてもいいのだろうが、とてもネガティブな子なのでどうしても助け舟を出したくなってしまう。
自分の殻の中で袋小路にはまっているのだ。
そこから抜け出す力は持っているのだろうが、ネガティブなあまりに自ら泥沼に沈み込んでいるのだ。
そういう事は、往々にして渦中にいる本人は気付かない。
だから私は「帰り道」を教えてあげたのだ。
その「道」はひとつではない。
私はいくつもの帰り道を示した。
ちょっと振り返って草をかき分ければ、道しるべがそこにはあるのだ。
「悪いんだけど、ほっといてくれた方がありがたいんだけど。」
ガーン。
この「ガーン」は通常のガーンではない。
実は他でも似たような事をしてしまい、私は今とても悩んでいるところであった。
良かれと思ってやったことだからと言って、それは必ずしも相手のためになるとは限らない。
ともすると「せっかく言ってあげたのに・・・。」という気持ちになりそうだが、それは自分のエゴであり、私はこういう場合、大いに反省しなくてはいけないのだ、と言うことに気が付いた。
しかしヘコむ。
やはりヘコむ。
どうかすると「あなたのためを思って・・・。」と言いたくなってしまう。
しかしそんなものは偽善であり、相手の気持ちが全く酌まれていない。
自分の非を認め、反省する事は簡単なことではない。
「相手を助けたかった」という目的から出ただけに、なおそれは難しくなる。
私は相手の望んでいる事を、見誤ったのだ。
もう一度、彼らが本当に私に望んでいる事を探し出さなくてはならない。
「何も望まない」、そういう望みもあるのだろう。
私は入ってはいけない領域に入ってしまったのだ。
「・・・んとにやってらんねーよッ!!」
昨日になってぶー子は、自分の身に降りかかった災難を、私にブチまけてきた。
そうだった、ぶー子は落ちる時は落ちるが、1日も経てばこうして外に出すようになるのだ。
私は2、3言葉をかけて待っていれば良かったのだ。
その後のぶー子は何かが吹っ切れたようで、上機嫌であった。
よく喋り、頼みもしないのに猫の皿を洗い、猫の水に氷まで入れていた。
しかし今度は私が沈んでいる。
分かっている、ここから上がれる力は私にしかないし、誰かが「大丈夫」「がんばれ」と言うかもしれない。
しかし、どうしたって浮き上がることができないのだ。誰の力をもってしても。
そういう事を痛烈に思い知ったのだ。
戒めである。
しばらく苦しんでいようと思う。