*下書き保留していたものを、少しずつアップしようと思います。
思い返せば、昨日は夢のような一日だった。
ブログを読み返すと不安ではあったようだが、今に比べれば、まさにエンジェルタイムと言っていい。
その後のエルは、比較的よく食べ、気持ち良さそうに眠っていた。
私はミッツの散歩と買い物とピアノの練習をした以外、ずっと一緒に寝室で過ごしたのだ。
エルは腕枕ではなく布団の上で寝ていた。
寝ているだけでも、状態が悪くないことは感じられた。危機感がない。何がどう、と言われると答えられないが、「大丈夫」、そんな気がするのだ。
しかし夜になり、夕食はリビングで一緒に過ごし、寝室に戻って寝る段階になるとまた食べなくなっていた。
波はある。焦らず、また時々起きてはあれこれ出してみた。そして、食べなかった。
ところが朝方にまた、顔をチョンチョンしてご飯のおねだりがあったのだ。私は飛び起きる。
ふと思いついて、カリカリを出してみた。「意外と食べるよ!」というSNSのコメントがあったのだ。もう長いこと食べていないが(食欲増進剤の後を除いて)、これが味覚的鮮度を上げていないか。
・・・食べた。
もう、エルの生命力に拍手だ。
しかし、すぐに吐いてしまった。
もうエルの気力だけではどうにもならないのだ。体が受け付けられる状態にならないと。
そしてまた、食べない。
吐く。
何も出ない。
寝姿も、具合が悪いように見える。呼吸が大きく、頭がグラグラと揺れている。
声掛けに反応も鈍く、目ぢからがない。
吐き気止めが、頭をよぎる。食べようとはするのだ。
エルに、生きる意欲はある。その意欲を尊重することは、自然の摂理に背くことになるのか?
そう、「自然に任せる」と決めたのだ。それならもう手出しはしないということだ。
「苦痛なく眠るように逝かせる」など、夢物語である。ラッキーもミュウも、穏やかな最期ではあったが、そこにもちろん苦痛は存在した。
それでもこの子は、生きようとしているのだ。
吐いて、寝込んで、それでもまたカリカリを少しばかり食べ、また吐いた。
幼い頃、酸素室で死線を彷徨っていたエル。それでも彼女は酸素室の中で必死に食べていた。
生きようと。
ただ。
今度のエルは、生きれば生きるほど、ガンの成長を許すことになる。
このまま食べられなくなる苦痛と、癌の苦痛。
前者を取るなら、早く送り出してやらなくちゃいけない。
そんなことを決める権利が私にあるのか。
目の前で、生きようとしているエルがいる。
それを見殺しにするのが私の務めなの?
