人間とは、歌い、踊りたくなる生き物なのだろうか。
祭りで踊り、儀式で踊り、歓迎で歌い、祝福で歌い。
80年代の青春映画「フットルース」では、学校で禁止されたダンスを認めてもらうため、聖書の「歌い、踊った」という一節を出した。
若い頃に父に連れられて行った沖縄料理のお店では、酒宴が進むとみんなで踊り出し、なんだあれはと驚いたものだ。
父は、酔って良く踊った(笑)
韓国料理のお店でも踊り出し、やめてくれと窘めたらスタッフに「これでいいんですよ」と教えられた。
人は、踊るのだ。
私も、良く踊った(笑)
ディスコで踊った。サンバで踊った。ライブで踊った。カラオケで踊った。
何なんだろう、あの解放感は。やはり人間が生まれながらに持った喜びの本能なのではないか。
歌、然り。なぜ酔うと歌いたくなる?
歌も、踊りも、喜びに繋がる。それは、これまでの歴史が証明しているだろう。
間違いない。
人は、歌い、踊りたいものなのである。
とは限らないのはなぜなんだ??
歌も踊りも恥ずかしい、好きではないという人が多いのも事実だ。
思うにそれは、単にそれを楽しむ器官が目覚めてないだけなのではないか。
ちゃんと然るべく育てていけば、同じように歌い、踊りたくなるのではないだろうか。
上手い下手ではないのだ。発すれば、いい。自己表現だ。
カラオケやダンスホール的な場所が廃れない訳である。
このところ毎週のようにカラオケに行っていたが、ついにプレステにDAMをダウンロードしてしまった(笑)
さすがにご近所に聞こえたら恥ずかしいのでミュートマイク(と呼んでいる、口を覆うなんちゃってマイクだ)は必須だが、それでも覆われたその中で私は、思いのたけ歌っている。ここまで来ると馬鹿なのか?という気がしないでもないが。
しかし、私は感じるのだ。歌を歌っているその時、なんちゃら言う幸せ物質が脳内に発生し、広がり、全身を包んでいる。
合法だぞ(笑)
こんな思い、しない人生よりもする人生の方が幸せではないか。
歌う馬鹿でいい。踊る阿呆でいい。
幸せだ。
まぁまず飲みましょう。
道はそこから拓けるのだ。