アウシュビッツの収容所の隣に住むドイツ人一家の映画を観た。
絶え間なく人を焼く煙が上がり、銃声や悲鳴が聞こえるその隣で、優雅に暮らしている一家の話だ。
その徹底した無関心が恐ろしい訳だが、一体何が彼らをそうさせるのか。
ドイツ人が鈍感な人種な訳ではないだろう。状況がそうさせるのだ。ではその「状況」とは?
一方が圧倒的優位にある。
そしてそれに間違いがないような世界にいる。
ここでは戦況が有利であるということ、ヒトラーの徹底的な政策による洗脳などがあるだろう。
このホロコーストの悲劇はスケールが大きかっただけで、他にも悲惨な歴史は数多くある。そしてそれは、戦争によって引き起こされることが多いように思う。
人間は、状況によって残虐にも無関心にもなれるのか。
ベトナム戦争で、ベトコンの耳を切り落として集めていたアメリカ兵がいた。
そんなことは、今いる日常でできることではない。可能か不可能かという意味ではなく、そんな発想にすらならないのが「平和」である。
ではなぜ人は、そんなに残酷になれるのか。
もしかしたら私も戦場で戦うようになれば、敵の耳や舌を切り落として集めたりするのかもしれない。
それが、人間なのか。
なぜ?
結論のないままツラツラと書いているのは、今たまたま「戦争における人殺しの心理学(デーブ・グロスマン)」という本を読み始めたところで、この映画の「無関心(これも一つの残虐行為だと思う)」に触れ、ますますその心理を知りたくなったからかもしれない。
読み終わる頃には、結論なり感想なりが書けるはずだ。
そして次には「なぜ人間は戦争をするのか」という本を読みたくなっているかもしれない(笑)