休日、居酒屋で飲んでいた。
大きなテーブルをグルッと囲むような席で、相席のような風情があるテーブルだった。
私達の隣には、同年代と思しき男女。親しそうに話している感じからは、夫婦だろうと思われる。
「だーかーらぁ・・・。」
なにやら夫らしき人の不穏な雰囲気に、つい耳がそっちに向いてしまった。
妻と何を頼むか決めているのだが、どうやらちょっと苛立っている。
「だから、トマトを頼むのか、頼まないのか?って俺は聞いてるの。」妻を遮って言う。
「え?あれば食べるよ~。」妻が軽く返す。
「あればじゃなくてえ・・・。俺は、『頼むのか、頼まないのか』って聞いてるの。」
「どっちでもいいよ!食べたければ頼めば?」妻の方は夫の苛立ちを気にかけず、メニューを見たままサラッと言った。本当にどっちでもいいのだろう。
それを聞いた夫は大げさなほどに「はぁ~~~~。」とため息をついて下を向いた。
自分はどうなの!?食べたきゃ注文すりゃいいでしょ。
何としてでも「頼む・頼まない」の返事を取り付けようとするその意固地さ。「俺の質問を理解してきちんと答えろ」という傲慢。
その後も時々、この夫がじれて似たように詰め寄る場面が何度かあったが、凄いのは妻だ。全く動じない。のれんに腕押しなのである。なので夫がどんなに上からおっかぶせて来ようが、はたまたわざわざ諦めたようなジェスチャーをしようが、円満なのだ。まるで、拾うと腹が立ちそうな言葉だけ綺麗に聞こえていないようにすら見える。奥様は、普通に楽しそうに振る舞っていた。
私だったら、いい加減にキレる。何様だ、いちいちいちいちうるさい。楽しく飲む気はないのか。
もし私がそうしてキレれば、場の雰囲気は悪くなること必至だ。そうなると、楽しく飲む気がないのは私なのか?
この奥さん、本当に凄い。
平和は忍耐の上に成り立っている。
しかし忍耐は平等にあるべきだと思ってしまう。
そう思うことが、傲慢なのだろうか。
私もまた、人に平等を強いているのか。
良く分からなくなってきた。
思いやりって、なに?