人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子57歳。

チョコレートのシーズン

気が付いたら、本番まで一週間を切っていた。本当に、こういうことが多過ぎる。大変そうなことを後回しにしたいという潜在意識がそうさせるのか・・・・・。

 

今回は「We are the world」である。あの有名な1985年のチャリティソングだ。

キーボードでお話が来たが、セッションではなくバンドさんのフォローである。ピアノとオーケストラのがっつり入った曲だ。2人で手分けすることに。

とはいえ、このバンドのキーボーディストはもうプロ級の方である。私などいなくてもひとりで上手くアレンジして弾くだけのことはできるはずだが(むしろ私がいない方がいいのかもしれない笑)、恐らく音楽仲間が、みんなで参加できるように取り計らってくれたのではないかと思う。ギターもダンナを入れてふたりだ(笑)

 

で、打ち合わせなしでどうキーボードを振り分けたかと言うと、「ピアノとその他」の2択だ。どっちがいいのか聞かれたので、遠慮なく選ばせてもらった。

実はこの曲をやるのは2度目で、前回コピーした譜面も音色のデータも残っている。それを考えれば「その他」の方が楽かなと思ったのだが、待て。

もう全然シンセを触ってないので、使い方が分からん(笑)

そんなところに音色のデータ入力、音色の振り分けの把握、練習。

ピアノなら音色は一つだし、オーケストラが入るから後半はコード弾き程度でも良さそうだ。

「ピアノで」。

ということで、シンセにまつわる面倒はなくなったが、またコピーのシーズンである。

 

たまたま最近ピアノを習い始めた友人に「コード理論は必要か」と聞かれ、断然ノーと言ったところであった。

こんな時にはやはりコードの概念がないとツライ。ひとつずつ音を聴いて拾っていかなくてはならない。

そこへきて発達由来の無駄なこだわりが出てきてしまうので、完コピを目指してしまうのである。

ドミソがミソドになったところで、なんの支障もない。誰も気付きはしない。

それでも原曲がドミソと聞こえるなら私はドミソと弾く。理屈じゃない。洋服のタグが首の後ろでチクチク触れるような不快感。これは私の快感のためのこだわりなのである。

なのでべらぼうに時間がかかる。ストレスもかかる。

時間が経つにつれ集中力がなくなっていき、一小節書くごとに立ち上がり、お菓子を探しに行く。頭を使うと糖質を消費する、などと言うが、本当にそんな気がする。なぜこんなにチョコレート。

 

こんなストレスを長く引っ張りたくなかったので、2日で仕上げた。厳密に言うと、転調から先はまだやっていない。あぁこんなところもコードさえ分かれば楽なんだろうに。

そして、楽譜が出来れば終わりではない。弾けなくては。少なくとも序盤はピアノ弾き語り的スタイルである。しっかり弾けるようにしなくてはならない。

もうひとつ言わせて。歌のパートも貰いました(笑)

これまでも「弾きながら歌う」というのはコーラス程度しかない。それも最後は何年前か。

試しに弾きながら小声で歌ってみたが、難しいぞ。最悪、手は弾いたふりだ。

 

バンドを辞めてから久しいが、有難いことに時々こんなことがある。

あぁまたこんなシーズンが来たんだな、と懐かしく思うと同時に、自分の劣化を感じる。

歌とピアノは辞めない。

そんな思いを強くした。