人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子57歳。

最後に残るもの

「お母さんがな、しっかりお前をコントロールしなかったから、お前はこんなになったんだ。」

 

すいませんね、こんなんで。

 

 

相変らず愚痴っぽい父である。

どうしてこう、そっちの方へ行きたがるのだろう?

さりげなく別の方向へ修正しようとしても、引力に従うが如く戻されてしまう。

言いたくて仕方がないのだ。

後悔。

そしてそれは自分の悔いではなく、他者に向けられたものばかりだ。あいつが。あの野郎が。

 

 

反抗心から自堕落に生きるようになった。

勉強をしない、というのは最も効果的な反発だ。

言うことも聞かなかった。

結果、学歴も技術もなく、この歳になった。それを悔いているのである、父が。

いや、父自身が悔いているのならまだ救いがある。寄り添えるが、母が悪いと言い出したのだ。

挙句私を「こんなん」呼ばわりである。

棒だ。棒になろう。私は棒です。何も感じません。そこにいるだけでーす。

 

お医者さん、店員、昔の会社の上司、部下、親戚、隣人。不満だらけだ。

「あの野郎」が「あの女」は、と延々愚痴を垂れ流す。

そんな話をするよりも、楽しい話をした方がよっぽど自分のためになるのに、「あいつら許すまじ」「忘れてなるものか」とばかりに何度でも言うのである。

幸せな時間よりも、不幸な時間を選んでいることに気付いていない。

可哀相な人だと思う。

 

歳を取って色んなことができなくなり、色んなことを忘れていき、人は変わっていく。

いや、戻っていくと言うのか。

その人の持つ、核の部分が残されるのではないだろうか。

父の場合、「プライド」だ。

思い通りに行かなかったことが、父の尊厳を傷つけているのである。

「俺が」という主語しか持たないから、他者へと思いが及ばない。

上手くいけば満足、いかなければ「お前が悪い」。

人生の最終章でなお、そんなことばかりが残されているのである。

 

もちろん、「プライド」にもいい部分があるにはある。

自分で出来ることは極力自力で頑張ろうとする。

私が帰る時は必ずエントランスまで下りて見送る。

お金で甘えることはない。

この辺は、見事なまでに徹底している。これはプライドが見せる良い部分かもしれない。

 

それでも、そんなものを手放してしまえばもっと楽になるのにと、もっと違うものが見えてくるのに、と思わずにはいられない。

反論すれば、より父を不幸にする。結局愚痴を聞いて「それは酷いね」と寄りそうことが、父の幸せなのだろうか。

不幸な幸せではないのか。

 

私も少しずつ、色んなものを失っていくだろう。

最後に自分の核として残るものは何か。

それは小さな一粒の宝石のようなものであって欲しいと、切に願う。