完璧主義、と言われることがある。
「完璧」という言葉に惑わされていたが、私のような「チーム発達」には悪い意味にもなり得ることに気が付いた。
なんで時間の割り振りが上手くいかないのか。「そこまでやらなくてもいい」というところまでこだわってしまうからなのだった。
無意識だ。ただそうしないと気が済まないのである。
例えばコピー。これは演奏のための「採譜」のコピー。楽譜がない時には耳で聴いて譜面に起こさなくてはならない。どうしても、完全なコピー「完コピ」にこだわってしまう。
誰もそこまで求めてはない。他の楽器とのバランスもあるのに、音源をできるだけそのまま再現したくなるのだ。これは結構ホネだ。
「適当でいいい」と何度も何度も言われたものである。何しろ時間もストレスもかかって色んなことにしわ寄せが行く。
しかしこれが、性分なのだろう。私の完コピスタイルは変わらない。変えられないのである。
ゲーム然り。
RPGなどでは目的地までしらみつぶしに歩き、丁寧にザコを倒し、怪しい箱は全て開ける。やり込めばやり込むほど「コンプ」が欲しくなり、1年、2年もかかったこともあった。
草むしりにしてもそうだ。
何かを集めるにしろ、夕食の献立にしろ、日々の買い出しにしろ、私は完璧を目指していた。だから何をするにも時間がかかるのである。結果、毎日スケジュールを立てて時間を制限することにしたのであった。
完璧主義などというと、パリッと身だしなみの整ったさぞかし隙のない切れ者のようだが、私の場合は「何事も終わらない中途半端な人間」である。終わらないだけでなく、あちこちにしわ寄せが行って、あちこちカオスだ。
毎日が、挑戦だ。
スケジュールとの戦い。
このスケジュールを「完璧に」こなす。
やるべきことのチェックリストを、ひとつでも多く減らしていく。
実はこんな毎日が結構好きだ。
コンプリートを目指して、完璧主義がいく。