今週のお題「制服」
私が学校の制服を着ていたのは、1980年代のことである。
日本人は個性がないなどと言われていて、制服もその象徴となっていた。
私の通っていたのは公立校で、恐らくもう長い間モデルチェンジをしていないと思われたそれは、目も当てられないほどにダサいものだった。
襟のないダブルのジャケット。色は中途半端な薄めの紺色。
私はこの制服が大嫌いだったが、だからと言って私服登校がいいと思ったことは一度もなかったのだ。
私服登校は、私立校やちょっと特殊な学校にはあったようで、それは「自由」を表していたように思う。それでも全く羨ましいと思うことはなかった。
年頃である。可愛い(あるいは格好いい)服を着て行きたい。
しかしそれを毎日繰り返すのは大変なことだ。毎日考えるのも大変だし、満足いくほどの手持ちもない。
そんなことに思い煩う必要のない制服という規則は、学校側にとっても生徒側にとっても、案外理想的だったのかもしれない。
そんな訳で、ダサいが制服であることには不満はなかったのだ。
みんな、ある中で工夫していた。
半袖の袖を、小さく折る。長袖やジャケットも、2回ほど折ってたくし上げていた。
スカートは丈を伸ばし、上履きのかかとは踏みつぶしてスリッパのように履く。さらに画鋲を仕込んで音が出るようにする(笑)
ジャケットの襟やポケットにカラフルなヘアピンを留めるのも、流行ったものだ。
このような、「ある中での工夫」という涙ぐましい努力は、悪くないと思う。
悪いのは、無駄に厳しい校則ではないか。
私の中学では、シャツと靴下の色、スカートの丈は決められていた。
スカート長いとなんなの。長くしたいのは反抗心からではなく、あの丈がどうしようもなくダサいからだ。
制服というもので統制しているのだから、その中での自由はあっていいと私は思う。それが、規則を守りつつ個性を育てることにならないか。
まぁスカート長いと先輩に目をつけられたりしてトラブルのもとになるのかもしれないが、みんな長ければ、もしくは長いのも短いのも色々いれば、突出しないのである。長いスカートがヤンキーの特権みたいになっていたのは、ヤンキーしか校則違反ができなかったからである。そんな校則無くしてしまえば、みんなが自由な丈のスカートを履き、服装をめぐるヤンキーとのトラブルもなくなるはずである。
時代もあるかもしれない。
娘も公立校だったが、チェックの短いスカートにルーズソックス、長い白のベストを着ていた。
可愛かった。羨ましかった(笑)
こういう自由度が学生らしいと、私は思ってしまう。
ところでそんな可愛い制服を、40過ぎて着る機会があったのだ。ライブでアニメ「けいおん!」の曲をやった時である。
神様、ありがとう。もう思い残すことはないです。