人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子56歳。

修行・1

こんなにフラストレーションが溜まったのは、いつ以来だろうか。思い返す。

生半可なストレスではない。動悸、頭痛、吐き気。懐かしい。それは父と衝突した時のものだ。そして今回も、原因は父であった。

 

父は本を出版しようとしている。もともと出版社に勤めていたこともあり、それ自体は高いハードルではなかった。実際過去にも何度か出している。

しかし今回は、上手くいかないようだ。恐らく年齢的に厳しくなってきていること、そして出版の環境も変わってきていること。

本に地図を入れる方法がなく、困っていた。

前回は出版社の方でやってくれたらしいが、どういう訳か今回はできないという。

父の話は要領を得ず、どうやら何度も聞いているうちに分かってきたことは、出版社はもう匙を投げているらしいことだ(笑)

 

とにかく父の話は長い。全てを説明しないと結論を言わないので、かなりの忍耐を要する。挙句に結論もないということも多々で、これではまともに取り合えないだろう。

私もこの地図の問題を聞くにあたって、何が起こっているのかどうしたいのかを理解するのに、相当な時間がかかった。そして相当なストレスもかかった。

しかし地図問題が膠着状態になっているので、私なりにできることはないかと考えたのである。

いっそ、知らんぷりを貫くべきであった。とんでもない厄介に首を突っ込んでしまったような気がする。

念のため、厄介とは地図のことではない。父とのコミュニケーションだ。

 

地図問題がややこしい原因は、いくつかある。

まず、出版の形態が、デジタル化されてきたことだ。

父は未だに紙でのやり取りをしているので、地図も紙の地図が必要となっている。

ところがこれまで出版社が書店で買っていた白地図がなくなったというので、困っているというのだ。

恐らく、デジタルデータでならやりとりができるのではないかと思う。ところが父にはデジタルの概念がないので、それを理解することがまずできない。なので紙一点張りとなっているのだが、どうも出版社の方は「探しておきます」と言ったきり探している様子がないとのことである。

 

そりゃそうだよな、と今なら分かる。

白地図ならネットで買えないかと見てみたところ、いくつかあったのだ。なので私は父に、どういったものが欲しいのかを聞く。この答えすら、聞きせない状態なのだった。

「どういうものが欲しいのか」との問いに、「前は書店に行ってだな、白地図ってのを買ったんだよ。白地図ってわかるか?(白地図の説明開始。)(続いてその使用法。)ところが売ってないってんだよ。」となる。

「どういうものが欲しいのか」の答えが、さんざん待たされて「売ってないんだよ」なのである。

もっと具体的に聞くことにしようと、「大きさは?」と問うと、「大きさってなぁ、お前、前に出した本の地図見てくれたか?ああいう風にしたいんだよ。」

本に載っているサイズの地図だと、かなり小さいことになる。原稿でもそれでいいものなのか?「だから、お前の用意したやつをもとに、線を引いたりして使うんだよ。」ともう全くキャッチボールができないのである。

 

一時間近く、こんな感じで話をしていた。最初のうちこそ私も辛抱強く話していたが、もう途中で理性はなくなった。話は遮らないと脱線したままだし、大声を出さないと話を主導できない。

ボールペンを嫌と言う程カチャカチャ鳴らし、目玉は上を向き、空いた方の手は太腿をバンバン叩く。最後は言い合いである。消耗した。

それでもこれは、ほんの序章だ。今日父が来る。

 

結局地図は、ダウンロードして印刷した方が早いことに気が付いた。

商用OKのものをいくつか用意したので、これを見ながら話を進めることになるのだ。

しかしだ。

父の希望に沿うものでなかった場合、どうなるのか。

部分的に拡大して多少編集する程度なら、やればできなくはないかもしれない。

しかしこれ以上ややこしいことはしたくない、はっきり言うと、ストレスを抱えたくないのである。ストレスの度合いが半端じゃないのだ。

 

それ以前に、ケンカになりそうな気もする。

これから、父が来る。

私は心底ウンザリしている。

そんな自分にも嫌気がさす。

何の試練か。

「生きることは修行だな」と、先日書いたばかりだ。修行なんて、口ばかりなのか?

この試練を乗り越えることはできないのか?

そんな手段はあるのか?

考えるぐらいはしたのか?

 

私は、考えた。修行だからというより、自分が楽になりたかったからである・・・・・。

 

 

つづく。