人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子56歳。

運動音痴という足枷

子供向けのスポーツクラブの広告が入っていたのだ。スポーツ、と言うよりも、「遊びながら楽しく体を動かそう!」といった感じのものである。運動にはなるだろうが、こういうので運動神経は良くなるのだろうか?

 

本当に、運動が苦手だった。根性もスタミナもなく、できないものは全くできなかった。

跳び箱、昇り棒、鉄棒。

腕の力がどうにも弱いように思えるが、昇り棒や逆上がりにコツがあるのか?根性で何とかなるものなのか?

腕立て伏せというものもできない。曲げようにも曲げた途端にくずおれてしまう。

一気に折りたたまれた腕は、もう二度と持ち上がることはない。本当に、非力だ。

 

本当に、非力だったのか?私は知りたい。私は非力で運動音痴だったのか?そしてそれは、努力でどうにかなるものだったのか?

 

スタミナもなかった。小中学校では長距離を走らされることがあったが、これもまた、死ぬほど苦痛だった。大人になってジョギングなどやるようになっても、そのペースは遅く、とても人並みに及ぶものではない。学校の授業のように団体でやらないから、苦痛が減っただけだ。

登山も辛かった。遠足なんて拷問である。いつも保健の先生と最後尾を歩いていた。

 

もしかして私の体には、一般的な検査に引っ掛からないような欠陥があるのではないか。そんな風に思えることさえある。運動部の部活も、毎度最初の体力づくりの段階で挫折した。走れば置いて行かれ、腕立ては1回もできず。

ただ、球技は好きだった。

部活でなく、体育の授業でやるバスケや休み時間にやる野球やバドミントンは楽しかった。

そして今回のキモはここなんだが、水泳はできた。背泳ぎもバタフライもできたし、クロールと平泳ぎなら50m泳ぐことができた。なぜなら、スイミングクラブに通っていたからである。

もしかしたら、鉄棒も跳び箱も、もしかしたら新体操やあん馬なんかも、子供の頃から楽しいスポーツクラブに入っていたらある程度できたんじゃないか?

スタミナだけはどうにもならない気もするが、小さな時分から楽しく慣れ親しむことで、もっと違うアプローチができたんじゃないだろうか。

 

私は本当に非力で運動音痴なのだろうか。

今からでも挑戦して結果を出すことはできるかもしれないが、いかんせん「根性」がない。

つまり私は結局、非力で運動音痴であるところから抜け出すことはできないのだろう。

真相は、分からない。

これから子育てがある人には、どうか色んな経験をさせてあげて欲しい。劣等感なんて、生きていく上の足枷にしかならないから。