人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子56歳。

赤羽で、飲む。

起こされたのは、朝8時過ぎか。

ダンナが出掛ける前に、牛丼屋で朝ご飯を食べることになっていたのだ。

前夜は音楽仲間としこたま飲み、途中から全く記憶をなくしていた。起きてみるとまだお酒が体内に回っている感じがあり、特有の浮遊感と多幸感に包まれていた。こんな気持ちで朝を迎えられたのはラッキーではあるが、それはこの後二日酔いが訪れることも意味していた。

牛丼屋から戻った私はすぐにコタツで寝こけてしまい、目が覚めたのは、出先のダンナからのLINEの着信音であった。

「もう出ていいよ。」

待ち合わせは赤羽。

もう出ていい、って、今起きたんですけど。そう言えば、家に帰ったらそのまますぐに出掛ける支度をしろと言われていた。慌ててコタツから出て、洗面台に向かう。もう化粧は最低限だ。ファンデと眉のみ。ウッ。なんだこのダルさは。幸せは、長くは続かなかった。二日目のアレのお出ましである。

 

初めて降り立った赤羽の駅は、思ったよりも大きく洗練されたものだった。まずはコーヒーショップでダンナと合流し、作戦会議である。赤羽と言えば?

昼酒。

ということで、あらかじめお店に狙いをつけて向かうことにしたのであった。

飲み屋街の始まり。                            

 

レトロな看板。

 

突き当りに小学校があってびっくり。

   

 

合計3件のハシゴをしたが、確かに昼酒・センベロの街であることには違いないだろう。しかし思っていたようなものとはだいぶ雰囲気が違っていた。もっとこう、昭和ムード漂うディープな酒場をメイージしていたのだ。

繁華街は、チェーン店の安い居酒屋がひしめきあっていた。安酒は総じて薄く、人をめいっぱい詰め込む店内は、荷物の置き場もなくとても落ち着いて飲めるような環境ではない。

まぁこれだけたくさん飲み屋があれば、何度来ても飽きずに選ぶことはできるだろうが、我が家からの距離を考えると何度も行くことはちょっと考えにくいかなと言うところである。

最後のお店で昭和のヒット曲が流れていて、こうなったら早く戻ってカラオケに行こうということになった。しかし地元に戻ったのは17時、翌日出勤であることを考えたらこれからカラオケは危険である。家に帰って続きをやることにした。

ダンナは早々にダウンしてしまい、残された私はひとりで延々と過去のライブ動画を観ながら飲んでいた。こうなると時間の流れもお酒の量も関知できない。気が付いたらコタツで寝ていた。寝室に行き、寝直す。これでやっと一日が終った感じだ。

 

朝になった。もうダンナは仕事に行ったことだろう。私は一日を始める決心がつかずに、スマホをいじっていた。するとダンナが「じゃあ行ってくるね。」と顔を出した。休日だから、遅いのか!何ともバツが悪く、ますます布団から出られなくなる。

しかしもう、二日酔いで一日を無駄にしたくはない。今年はちょっと作戦を立てて、いまのところいい具合なのだった。とりあえず起きて一日のスケジュールを立てると、カレンダーにシールを貼る。これがその作戦だ(笑)予定さえ立ててしまえば、あとはそれに従うだけでいい。不思議なもので、こういう目標ができるときちんと遂行したくなるものなのだ。ということに気が付いたのである。

一ヶ月がこのシールで埋まったら、ご褒美にラーメンでも食べに行こうと思っている。

 

ということで、一日が始まっている。ブログ下書きの持ち時間はあと一分だ。

ここらでお別れしたい。