人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子56歳。

エルの残骸

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猫は歳をとると甘えん坊になるようで、どの子も最終的にはベッタリついて回るようになった。

18歳のエルはもともと甘えん坊ではあったが、「どこへでもついて来る」的な大移動を伴うベッタリと代わって、「そこにいるのを見つけたらそこへ行く」というスタイルになっている。

恐らく、感知できるエリアが狭くなったことと、体力的なことなどがあるのだろう。

 

ブログの更新があるのでパソコンデスクに良く座るのだが、ここにはよくやって来る。そして、眠る。

 

キーボードの向こう側。

 

手前。

 

横。

 

膝の上。

 

パソコンデスクはエルの抜け毛で常に散らかっている。黒いデスクだ、とても目立つ。

しかしエルがここで寝るのは毎日のことで、いちいち綺麗にしていたらきりがないのだ。そもそも気にもならないので散らかるがままにして、気まぐれに拭くぐらいであった。

 

しかし、エル18歳。

いつか来る別れが近づいていることを、感じるようになった。

「もしエルがいなくなってしまったら。」そんなことも考えるようになった。

もしエルがいなくなってしまっても、この抜け毛は残る。私はそれを、処分できるのか。

もう二度と会えないエルの、しましまの毛。その抜け毛は、これ以上増えることはないのである。捨ててしまえばそれだけ「無」に近づいてしまうのだ。

永遠の別れ。それでも残った、エルの残骸。

これは、残してはいけない!!捨てられんやつだ!!捨てられなくてどうにもできなくなるやつ!!

 

母を疎遠にしたとき私は、永遠の別れを覚悟した。留守電の声を消し、私を求めるような手紙を処分する。辛い想いと共に残されたくなかったのだ。死なれてからじゃ、捨てるに捨てられん。

エルの毛も、こまめに捨てていこう。こんなものが残された日には、吹き飛ばないように気を使って散らけ残る努力をしなくてはならなくなってしまう。

 

なかなか難しい作業であった。何しろ、本当にすぐに毛は抜ける。いちいちハンディモップを持ってくるのもぞうきんを持ってくるのもウェッティで拭くのも、こうしょっちゅうだとだんだん面倒になって来る。

なので今は、手の届くところに置いてあるセロテープで貼り付けている。それも面倒になっているところだ。

 

と、言うのに。思い出してしまった。

服。犬用の服を着せていた時期があった。

これはもっと以前に「死んだら捨てられなくなる」と言って処分しようと思ったのだが、「イチゴちゃんと浴衣は捨てないで!」とダンナに言われてまだ残していたのだった。

イチゴちゃんと浴衣だから、私は早く処分したかったのだ。エルに良く似合う、可愛い服であった。そんなのが残されたら、とてもたまらない。見れば辛いし捨てられもしないなんて、なんの罰なの。

 

幸いなことに、今は元気だ。

こんなことを考えるのは不謹慎かもしれない。

それでもいつか、デスクに残されたエルの毛を1本1本集めて箱にしまうなど、したくはない。

エルを亡くすことも怖いが、そんなことをしている自分もいて欲しくはない。

 

掃除、片付け。

普段からきちんとしておきましょう。

という結論でしょうか。