猫カテの方にも書いたが、エルが食べなくなってしまったのだ。
先立った姉妹猫も、終わりの始まりは絶食であった。エルの年齢を考えると、いよいよその時が来たと言っても、おかしなことはない。
ただ、全く食べない訳ではない。少量を時間を空けて、食べることはできている。
でも、これも先住姉妹と同じ流れと言えばそうだ。彼女らも、少しずつは食べていた。
でも、エルは、たくさん食べる時もある。まるで選り好んでいるかのような感じで。続けて同じものを出すと、食べなくなる。逆に新しく出て来たものが気に入れば、たくさんは食べる。
でも、吐いてしまうのだ。吐くことは脱水に繋がり、脱水が続けば危険な状態になりうる年齢だ。
でも、元気そうに見えるのである。表情はいい。のんびりと寝ているように見える。
でも、全然動かないけどね。
でも、そもそももう食べているか寝ているかだったのだ。そう変わってはいない。
でも、夜は一緒にベッドに横になったら、朝まで動いていなかった。いつもならトイレに行き、朝方ご飯の催促をされていた。
でも、腕枕で撫でてあげると、ゴロゴロと喉を鳴らすのだ。死に向かっているとはとても思えない。
でも、こんなに食べない、飲まないのは異常である。
でも、でも・・・。
エルは死ぬのか、望みはあるのか。私の気持ちは「でも」のたびに揺れ、もうどうにかなってしまいそうだ。
今のところ、状態は昨日と変わってはいない。
それでもご機嫌は良さそうで、病人のようにも見えない。
油断はできないが油断している、そんなところである。
崖っぷちに立ち、胸が締め付けられるような思い。
いつも喉の奥に何かが挟まっているように、重い。
動機がする。ため息が出る。悲観的になる。
頑張れ、強くなれ、と自分を励ます。無理だ、と叫び出したくなる。
こんなことが、これまでにもあったことを思い出す。誰かを失くしていくたびに。
永遠なんてない。
分かっていながら、受け入れられない。
分かっていたつもりなのに、往生際が悪い。
エルの容態で、私の精神状態も激変する。キツい。
私は医師ではない。でも家族だ。エルのことは良く分かっているつもりである。
エルは、まだその時ではない。少なくともまだ今は。食べないだけで、ご機嫌はいいのだ。
食べられるものを食べられるだけ与える。
乗り越えてみせる。