人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

適量

金曜日だ。

今週は月曜日が休みだったから一日短かかったとは言え、それでもなぜ「やった!やっと飲める!!」というあの高揚感がやって来ないのか。

 

あの日、脳が体に負けてから、私は変わってしまった。

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体の本気の怒りに驚き、目黒式健康法で肝臓の苦労を知り、飲むのが怖くなってしまったのだ。以前のように飛ばして飲めなくなった。

濃い酒は薄め、時間をかけて飲み、そのうちに眠くなるかどうかすると頭痛までしてくる始末だ。

こうなるともう、飲むことに楽しさを見いだせない。

 

そんな感じだったので、金曜日が来たところで困惑しかなかった。

また私はセーブしながら飲まなくてはならないのか。

急にそんなに極端に制限することもないだろう。分かっていながらもはや、あの酩酊状態が怖くもあった。体を騙す麻薬だ。臓器の悲鳴をむりやりかき消すのである。もちろんその頃には脳もやられている。私は実体のないただのジャンキーだ。

そんなことに気付いてしまうと、飲酒解放の金曜日も心が踊らないのであった。

 

それでも、つまみを作っていると少し気分は晴れて来る。

「食事」と「つまみ」は違う。

いつもと違う、特別な感じ。休日を控えた解放感も手伝い、「まぁ量の事は考えないで、ゆっくり飲めばいいか。」と気持ちを切り替えた。

 

まずはビール。

この頃ビールの苦みが苦手になり、糖質制限も考えてビールはあまり飲まないようになっていた。

しかしできるだけ、アルコール度数の高いワインへの到達を遅らせたい。

乾杯の一杯だけ。得体のしれないドイツのピルスナー。柔らかい香りでまろやかま口当たり。

これをゆっくり飲んだら、冷蔵庫に冷えている缶サワーを手前のものから出す。アルコール度数、4%。4%か。今のお前にゃお似合いだ。

 

さて、結局私がこの晩飲んだのは、このひと缶と乾杯の小さなグラス一杯のビールだけであった。

ダンナが眠そうにしていたのでお開きになったことが大きいが、なるほど、金曜日の家飲みならダンナの疲労込みでこの量でいけるのか。

飲酒量記録アプリに飲んだ量を入力する。ビールの最小単位が350mlの缶ビールなので少し多くなってしまったが、それでも判定は「適量」であった。

適量。

このアプリでは、一日の純アルコール摂取量の適量は40gまでとなっていた。

40gとはどれぐらいかと言うと、ビールなら500mlのロング缶1本、7%の缶サワーなら350mlをたったの1本ということになる。

こんなもの、すぐに超えてしまう。記録を取る意味はあるのか。平日にコツコツ禁酒をしても、一度の飲酒で簡単にその努力がひっくり返ってしまうのである。

 

ところが思いがけずこの適量に収まってしまったので、私は心底驚いた。

いつもは飲みながら後片付けをしていたが、こうなると何だかもったいない。そして何より、さほど飲みたくもない。

肝臓に話しかけてからというもの、私の中で肝臓はただの肝臓ではなくなった。

アイデンティティを持った実態のあるあたかも「人物」で、その人は今やとっても疲れたおじさんで、それでもとても実直な努力家なので、文句も言わずに私のために働いているのである。

「大丈夫です、気にしないで飲んでください。」

「ううっ・・・、ハァハァ、だ、大丈夫です。」

そのような具体的な言葉まで、聞こえてくるようだ。

ダメだ、もうこれ以上迷惑はかけられない。

こうして私は「適量」を守り、金曜日の割には早く布団に入ったのであった。

 

その恩恵を受けるのは、翌日だ。まるで二日酔いはない。全く正常。水曜日あたりの体調とさして変わらない。

この頃の二日酔いときたら、本当に酷いものだった。

今なら、一晩激務に耐えた肝臓さんがすっかり寝込んで使い物にならなくなっている姿が想像できる。

それがどうよ、肝臓さんも早起きして、笑っている。

「ぽ子さん、ありがとう。」

お礼まで言われると、悲しくなってしまう。無性に謝りたい。

 

私の飲酒スタイルは変わるのか。

いい傾向なのだろうが何だか味気なくなってしまい、戸惑っている。