彼女と会うのは、4年ぶりになる。
中学の同級生であり、長く付き合っている唯一の友人だ。コロナ禍に阻まれてずっと会えなかった。
毎度泥酔して新宿から帰るので、彼女もダンナも私も、ヒヤヒヤする。
色んなことがあった。
ボッタクリに近い居酒屋に入ってしまったこと。
警察に電話して絡んだこと。
思い出横丁で「へんなおじさ」と思しき人物と飲んだらしいこと。
ダンナとの待ち合わせを放置して飲んだくれていたこと。
酔ってさえいなければ。毎度思うが、私は毎度繰り返す。
不安だが、飲み出すと止まらないのだよ・・・。なるようにしかならん。
祈るような気持で出掛けるのが常であった。
しかし3年という月日は、私達を変えていた。
ソバーキュリアスを意識し始めたのは、今年の3月だ。
禁酒でも節酒でもない、「飲めるけど飲まない」という選択。
「飲めるから飲む」でやってきて、この有様である。
醜態を積み重ね、翌日慚愧の念に押し潰されそうになり、二日酔いで動けず、良かったことと言えばその場の楽しさだけである。
その楽しさも、アルコールという薬物が作り出すまやかしの陶酔であり、もはやそれなしでは何も楽しめないという状態になりつつあった。
それでもいい、お酒は私を幸せにしてくれる。私を楽しませてくれる。夢見させてくれる。肯定してくれる。何でもできるような気がしてくる。無敵だ。
でもそれは、酒が作り出す幻想なのである。その幻想に多大な時間と精神力と体力を奪われている。やっと最近、その事実と向かい合えるようになってきたのだ。
やりたいことは、たくさんある。
しかし圧倒的に時間が足りない。
だんだん、幻想に貴重な時間を持って行かれるのが勿体ないような気がしてきたのである。
代償も、大きい。
そんな時に、私よりも先にダンナが「オレ、今度は飲まない。」と言い出したのだ。
BBQである。飲まないという選択など考えられない場面だ。
単にこの時は飲み過ぎが祟ってもう飲めなかったからではあったが、ここからダンナは覚醒しつつある。明日のBBQも、飲まないと決めたらしい。車で行くそうだ。
そして私は友人と会うのだが、友人も最近あまり飲めなくなってきたと言うので、どこかでランチとか、公園に行くかなどと考えている。
あ。
私は飲みます(笑)
でももう、あんな飲み恥晒すような泥酔はしない程度に、「軽く」、お喋りの隙間埋め程度の飲み方にしたい。
初の試みだ。新しい段階に入る。
いずれお酒無しでも会えるようになることを願って。
で。
その後ダンナのBBQ隊の2次会に合流する(笑)
ここで解禁にはしようと思う。ご褒美だ。
・・・ご褒美になりますよう。
乞うご期待!