人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子54歳。

 

<拍手機能について>拍手機能を外部から追加しましたが、反映するまでタイムラグがあるようです。励みにしてますので、ご理解いただいた上でポチっていただければ嬉しい限りです。よろしくお願いします。なお、拍手機能はスマホ版に表示されていないようで、使用できない方には申し訳ありません。

聖剣の使い道

主張はいい。

信念もいい。

自信って、大切なことだと思う。そして私に足りないものでもある。

 

自己肯定感が低いということは、自己否定感が高いということでもある。幸せを感じるセンサーが鈍い。

消極的に生きて来たので成功体験に乏しく、自らを肯定する根拠がないのだ。

自業自得、とここでまた自分を貶め、だからといって改める気もない自分を諦めていた。

 

しかしあまりにも強烈な主張に当てられると、自信とは何なんだろうと思うのだ。

言葉は武器になる。

強い言葉で発すれば、それだけ強く響く。それは自信の表れにもなるが、時に人を傷つけるものだ。意識してかしないでか、特定の人に向けて、公然と、攻撃的な言葉を投げかける。

自信がなくてはできないことだ。

 

自信はいわばエクスカリバーみたいなもので、使い方を知らなければ単なる凶器でしかない。所持している優越感に溺れ、やたら振り回し、自分が強くなったと勘違いする。

同調するのは共感からではなく、斬られたくないからだと気づいていない。

そうしてまた誰かを血祭りにし、見せしめて、強さを誇示する。どこかの国のトップと同じだ。

「自信」の所持に免許が必要なら、もうちょっと世の中は平和になりそうな気がする。

 

自信のある人ほど、必要なのは「自信のなさ」なのではないか。

自分は正しいことを言っているのか。

正しいことをしているのか。

人を尊重出来ているか。

常に、問い続けられること。

それができれば、攻撃的な言葉など出ないはずだ。

自信は、攻撃の道具ではない。攻撃が、自信の道具でもない。

 

こんな程度の人間でいいや、そんな風に思えるようになった53歳だ。

エクスカリバーは、ゲームの中だけでいい。