主張はいい。
信念もいい。
自信って、大切なことだと思う。そして私に足りないものでもある。
自己肯定感が低いということは、自己否定感が高いということでもある。幸せを感じるセンサーが鈍い。
消極的に生きて来たので成功体験に乏しく、自らを肯定する根拠がないのだ。
自業自得、とここでまた自分を貶め、だからといって改める気もない自分を諦めていた。
しかしあまりにも強烈な主張に当てられると、自信とは何なんだろうと思うのだ。
言葉は武器になる。
強い言葉で発すれば、それだけ強く響く。それは自信の表れにもなるが、時に人を傷つけるものだ。意識してかしないでか、特定の人に向けて、公然と、攻撃的な言葉を投げかける。
自信がなくてはできないことだ。
自信はいわばエクスカリバーみたいなもので、使い方を知らなければ単なる凶器でしかない。所持している優越感に溺れ、やたら振り回し、自分が強くなったと勘違いする。
同調するのは共感からではなく、斬られたくないからだと気づいていない。
そうしてまた誰かを血祭りにし、見せしめて、強さを誇示する。どこかの国のトップと同じだ。
「自信」の所持に免許が必要なら、もうちょっと世の中は平和になりそうな気がする。
自信のある人ほど、必要なのは「自信のなさ」なのではないか。
自分は正しいことを言っているのか。
正しいことをしているのか。
人を尊重出来ているか。
常に、問い続けられること。
それができれば、攻撃的な言葉など出ないはずだ。
自信は、攻撃の道具ではない。攻撃が、自信の道具でもない。
こんな程度の人間でいいや、そんな風に思えるようになった53歳だ。
エクスカリバーは、ゲームの中だけでいい。