ひとの人生なんて、不公平なものだな、と思う。
もっと美人に生まれたかったな、とか、発達障害みたいなものがなかったら、とか、もう少し家庭環境が良かったら、とか。
他人の過去は、輝かしく見える。
ただ、羨むような機能が備わっていなかったのは、幸いだ。生きづらさはあっても僻んだり妬んだりせずに済んだので、私の不幸は私の中で終結することができた。
勉強はできなかった。
運動も苦手、根気がなく、覇気もなかった。
楽なことに逃げ、努力を避け、漂うように生きて来た。
こんな自分を卑下もしない代わりに、良くしようという気にもならなかった。
諦めていたのだ。素材が悪すぎる。「身の程を知る」といえば聞こえがいいか、まぁ向上心も夢も希望もなかったから、それはそれでそこそこ幸せだったのである。
生きている実感が持てるようになったのは、ここ最近のことである。
若い頃のように恋愛だ仕事だ、虚勢を張るようなフィールドにない今、私のテリトリーには自分しかいない。
不公平を感じるような場所にいないのである。強いて言うなら、比較対象は自分の過去ぐらいだ。
驚いたことに、結構幸せだ。
ろくでもない過去に培った「身の程を知る」という生き方が、夢を見ない人生を肯定してくれる。
こんな程度でいい。それを知るための、過去。
全ての過去が、今の私の幸せに繋がっている。
頑張れれば、進歩だ。
根気よく勉強して、運動して、逃げずに努力する。
そんなことができれば、私は過去よりも輝くのだ。悪くない。
少しずつ、色んなことが形になりつつある。
相変らずグズでクズだけど、こんな程度でいい。
そう思えるようになったからこそ、頑張れる気にもなれるのだ。
マイペースで。
死ぬまでこのまま私らしくいこうじゃないか。