人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

財布

父と買い物に行った時のことだ。

「これな、ちょっとお前に頼むわ。」そう言ってまず、小さなメッシュの袋を手渡されたのだ。

恐らくノートや書類などを入れるための、ファスナーのついた四角くて平たい袋。

その中には仕切りがあり、片側に小さな小銭入れ、片側にお札が二枚裸で入っていた。つまり、これで会計はよろしく、ということである。

スーパーで総菜や野菜を買うと、私がレジに並ぶ。自分の番になる前に、小銭入れを出しておく。ん?場合によっちゃお札がいるのか?

メッシュの袋のファスナーを開けると、ヒラヒラと一万円札と千円札が入っていた。う~ん、どっちだ?

買ったものを暗算する気もなかったので、会計を待った。

千円ちょっと。

千円札を出し、小銭入れを開くと・・・、クラクラする(笑)

小銭だ。

小銭がたくさん入っている。たくさん。

上から覗く形なので、小銭の側面しか見えない。一体どれが百円玉なんだ!?

老眼も邪魔をして、全く分からない。仕方なくあてずっぽうに1枚ずつ取り出すも、なかなか「当たり」は出てこない。焦る。

こういう光景に時々出くわすことがある。そんな時私は「なんで先に用意しないんだろう」「どうしてこんなに時間がかかるんだろう」と苛立ったものだが、今まさにその苛立ちの対象となっているのである。焦った。

「百円玉は横に入ってるよ。」父が助け舟を出した。良く見ると小銭入れにはポケットがあり、そこに、百円玉と五十円玉と五百円玉が入っていた。

これとて、上から見ると見分けがつかない。

どえらい時間をかけて、やっと支払いを終えたのだ。

しかし小銭入れに集中していたために、メッシュ袋のことをすっかり忘れていた。

口を開けたままになっていたが、よくぞ裸で入っていた一万円札が落ちなかったものである。

この後もう一軒、買い物をした。また似たような状態になった。

父はこんなことがストレスにならないのだろうか?

ならないんだろうな、私がこれまでに見たこういう人達には、焦りと言うものをまるで感じなかった。

凄いことだ。あの小銭の側面の詰まった財布。集合体が苦手な人も多いが、私はもうアレがダメだ、二度と見たくない。イモヅル式に、あの時のレジの公開処刑みたいな心境を思い出してしまう。

財布を買ってあげようか、と考える。

しかし、全く喜ばれない気がする。

彼らは不便を感じていない。彼らなりのベストを保っているのだ。そんなプレゼントは傲慢なのかもしれない。

守られるべき彼らの世界。

足の遅い人、車の運転の下手な人、話が分かりにくい人、色んな人がいるが、それを勝手に「弱者」とするのは傲慢なのではないか。

必要なのは財布ではなく、尊重だ。

などと気づいたら、もうレジで苛立つことなどなくなりそうな気がしてきた。

受け入れることは、自分も楽にする。

こうして世の中が平和になっていけばいいなと思う。