父と買い物に行った時のことだ。
「これな、ちょっとお前に頼むわ。」そう言ってまず、小さなメッシュの袋を手渡されたのだ。
恐らくノートや書類などを入れるための、ファスナーのついた四角くて平たい袋。
その中には仕切りがあり、片側に小さな小銭入れ、片側にお札が二枚裸で入っていた。つまり、これで会計はよろしく、ということである。
スーパーで総菜や野菜を買うと、私がレジに並ぶ。自分の番になる前に、小銭入れを出しておく。ん?場合によっちゃお札がいるのか?
メッシュの袋のファスナーを開けると、ヒラヒラと一万円札と千円札が入っていた。う~ん、どっちだ?
買ったものを暗算する気もなかったので、会計を待った。
千円ちょっと。
千円札を出し、小銭入れを開くと・・・、クラクラする(笑)
小銭だ。
小銭がたくさん入っている。たくさん。
上から覗く形なので、小銭の側面しか見えない。一体どれが百円玉なんだ!?
老眼も邪魔をして、全く分からない。仕方なくあてずっぽうに1枚ずつ取り出すも、なかなか「当たり」は出てこない。焦る。
こういう光景に時々出くわすことがある。そんな時私は「なんで先に用意しないんだろう」「どうしてこんなに時間がかかるんだろう」と苛立ったものだが、今まさにその苛立ちの対象となっているのである。焦った。
「百円玉は横に入ってるよ。」父が助け舟を出した。良く見ると小銭入れにはポケットがあり、そこに、百円玉と五十円玉と五百円玉が入っていた。
これとて、上から見ると見分けがつかない。
どえらい時間をかけて、やっと支払いを終えたのだ。
しかし小銭入れに集中していたために、メッシュ袋のことをすっかり忘れていた。
口を開けたままになっていたが、よくぞ裸で入っていた一万円札が落ちなかったものである。
この後もう一軒、買い物をした。また似たような状態になった。
父はこんなことがストレスにならないのだろうか?
ならないんだろうな、私がこれまでに見たこういう人達には、焦りと言うものをまるで感じなかった。
凄いことだ。あの小銭の側面の詰まった財布。集合体が苦手な人も多いが、私はもうアレがダメだ、二度と見たくない。イモヅル式に、あの時のレジの公開処刑みたいな心境を思い出してしまう。
財布を買ってあげようか、と考える。
しかし、全く喜ばれない気がする。
彼らは不便を感じていない。彼らなりのベストを保っているのだ。そんなプレゼントは傲慢なのかもしれない。
守られるべき彼らの世界。
足の遅い人、車の運転の下手な人、話が分かりにくい人、色んな人がいるが、それを勝手に「弱者」とするのは傲慢なのではないか。
必要なのは財布ではなく、尊重だ。
などと気づいたら、もうレジで苛立つことなどなくなりそうな気がしてきた。
受け入れることは、自分も楽にする。
こうして世の中が平和になっていけばいいなと思う。