毎日と言うほどきっちりではないが、一日の始まりに仏壇もどきを拝んでいる。
ヤバいものをしょい込んだようなプレッシャーがあったが、慣れれば自然と手を合わせるようになるものだ。おはようございます、いい一日になりますよう。
昨日もいつものように線香をあげ、手を合わせ、目を瞑り、心の中で挨拶をして、ニコッなどしたその時。
フッと「何か」がシンクロするような感覚があった。感覚だ、それが何とは説明できない。一瞬である。
ドキッとした。何なんだ、この感じは。
猫ガードのメッシュパネルを閉じながら、考える。ヤバい、これはヤバい気がする。
今日がXデーなのか。
もうすぐ死にそうな気がする、と言ってもう何年か経っているが、相変わらずその感覚は抜けていなかった。
決定打がないために絶望感や焦りはなく、代わりに別れを惜しむような気持ちでこの世の中にあるものの美しさを堪能している感じである。
そこへ、決定打が打ち込まれたのだ。私は焦って絶望した。
健康体である。死ぬとしたら、事故か事件、それとも健康の裏に隠された病気の発作か。
どれも覚悟のないまま突然やって来るだろう。痛いか苦しいか。願わくば発作の方で。
いや、待てよ。そもそもこの感覚は、イコール死なのか?死んだことがないから分からん。また、死んだ人にも聞けないから、知りようがない。
私はスマホを手にした。困った時のネット検索である。
「もうすぐ死にそうな気がする」という人は、思ったよりも多かったのだ。
どうしたらいい?死ぬのですか?こんな風に思った人はいませんか?たくさんの質問に溢れていたが、答えはない。その後その人がどうなったか分からないのである。
ただ、「予感」がした日に事故に合った、という話がいくつかあった。予感のお陰で死は免れたと解釈していたようだ。つまり、「予感」は「予告」ではなく、「忠告」であると。
昨日私は、ボイトレにいく予定であった。
よっぽど行くのをやめようかと思ったが、このまま家で悶々としていてもますます気が滅入りそうだったので、行くことにした。戦場にでも赴く心意気だ。
歌、という気分ではなかった。
しかし歌は、「歌という気分ではない気分」を変えてくれるということを私は知っていた。
人生最後の日になるとしたら、ハバネラでも歌ってから散っていこうではないか。
できるだけいつも通りに過ごそう。一日の計画表に沿って、変わらぬ日常を作り出す。
心ここにあらず。
とうとう部屋は片付かないままだった。
猫達を残していかなきゃならないのか。
3時半になると、運動の時間だ。ブートキャンプである。ところがDVDが映らないのである。
電源は入っている。接続も正しい。原因不明だ。
そうか、もう死ぬのに運動なんかしても仕方がないじゃないか。貴重な残り時間である。有意義に使えとの配慮か。
しかし何も手につかなかった。ドツボである。
私は占いの本を手に取った。相変わらず抽象的な啓示である。同じ質問を3回して、結果は「思ったままに行動せよ」「勇気ある行いが称賛されるだろう」「いつもとは違う大胆なことをせよ」といった感じだ。まるで謎解きRPGである。
ボイトレへ行く途中で何らかの危機にある子供をかばって死ぬ、というのが私が導き出した答えだ(笑)
逆に言えば、子供をかばわなければ称賛もされない代わりに生き残れるではないか。
いやいや、ここでクソみたいな人生を一発逆転させて終えることができれば、生まれて来た価値もあったということよ。私はこの日、このために、生まれてきたのである。
覚悟を決めなくては。まるで特攻にでも赴く戦士である。いつもとはまるで違う気持ちでボイトレに向かった。念のために、普段使わないコースを行った。
往路では、何事も起こらなかった。
ボイトレは、少し私を元気にしてくれた。
復路で、「啓示」について考えを巡らせる。このままでは何も起こりそうにない。真意は何だったのか。
思い切って大胆にいつもと違うことをすれば、称賛されるってか。
思い切って、
大胆に、
平日ですが、
飲んでしまえばダンナも喜ぶのではないか?
・・・と本気で考えた(笑)
実行に移さなかったのは、単に時間がなかったからである。
飲み出したら止まらないのは目に見えている。ダンナの帰りが遅かったので、思いとどまったのであった。
さて、私は生きている。
昨日のような予感は、もう全くない。
結局あのシンクロ感は思い過ごしだったのか、私の行動によって何かが回避されたのか、分からない。
ただハッキリしているのは、物事は思い込みでどんな風にも捉えられるということだ。
昨日私は、一気に死ぬ方向に加速した。全てが死に向かっているように見えた。
答えのないことは、ポジティブに解釈した方がいい。
どうせいつか死ぬのだ。その時は選べない。その時まで、ハッピーに過ごしていた方がいい。ということを実感した。
予感などと言う不確かなものを追求しないこと。
ブレずに前向きに生きる。
今朝の散歩は、一段と清々しかった。
生きていることのありがたみよ。
「ワン!」
曇りのない瞳をして、ミッツがこちらを振り返った。