変わらず、穏やかに過ごしている。私も観念した。見守りに徹する。
まだヨタヨタと歩いてはいるが、どうかすると倒れてしまう。
水が飲みたいようで、何度か水場に向かっていた。それでももう飲めないのか、ちょっと口をつけては諦めて戻っている。
謎だ。
飲みたい気持ちはあるのに飲めない事情が体にあるのか。
思えばラッキーもそうだった。
こうした脱水の苦痛を和らげるために皮下点滴をするのかもしれないが、正直その是非が分からない。自然に死に向かうべきところに中途半端な回復をさせるため、意識がクリアになるぶん苦痛を長引かせる、という話もあるのだ。
今のところ、酷い苦痛があるようには見えないので自然に任せようと思っているが、本猫の気持ちは分からない。
お気に入りのソファの上にはもう登れなくなってしまった。今はコタツテーブルの座椅子を定位置にしている。
ここだと人間からは見下ろす形になるので、顔が見えない。
床に這いつくばり、目線を合わせ、耳の遠くなったミュウに大きな声で話しかける。心配しないで、私はここにいるよ。
するとどうしたことかどこからか大五郎がすっ飛んできて、おもむろにミュウの頭を舐め始めたので驚いた。
うちの猫たちはミュウとラッキーの姉妹猫以外は全く交流を持たず、非常にドライな関係であった。
確かに大五郎はちょっと変わったところがあり、どうも我が家の猫社会を見守っているような感じがある。例えば誰かが怯えたような声を出したり悲鳴を上げたりケンカが勃発するなどの異変が起こると、飛んで行くのである。
飛んで行くだけで、見てるだけだ、ただの野次馬根性かもしれないが(笑)
しかしこんなことがあると、やはり大五郎は特別な子なのかもしれないなぁなどと思ってしまう。
不思議なことに、ハリネズミのように逆立ってバサバサだった毛が、とても柔らかくなっている。ラッキーもそうだった。ついでに言うと、母の死に顔も若返ったようにとても綺麗だった。
痩せて魚の干物みたいにペッチャンコなのに、立って歩く姿を後ろから見ると、なぜか太腿だけふっくらフワフワのもこもこだ。
しかし表情はすっかり病人で、もう以前のような活力は見られない。
いや、もしかしたらこれが全てを終える時の顔なのかもしれない。
猫という生をやめ、次の世界へ旅立つ決意の。
撫でたり声をかけたりも、煩わしいのではないかと迷う。
今静かにじっと、何かに耐え、その時を待っているのだ。
時々頼りない声で鳴くので、その時は答えるようにしている。
いつでも答えられるように、今夜から私もリビングで一緒に寝ることにする。
恐れることはないんだと。勇気を貰った。
看取るのは素晴らしい時間
今、彼の遺骨を脇に置いてこの原稿を書いています。
ペットを飼う以上、看取るのは飼い主の義務だと僕はずっと思ってきました。でも今思うとそれは間違いでした。
ペットを看取る、という行為は長い時間を共にペットとの暮らしを大切にしてきた人だけに与えられるご褒美のようなものです。愛する猫が弱っていく姿を見ているのは確かにつらい。でも普段自由にさせていた猫が本当に自分を必要としていることを実感できる貴重な日々でもあります。
僕を頼る猫のまなざしは、子猫だったころ僕をじっと見ていた目と何も変わっていませんでした。そして何より、最後まで生きようとすることに迷いがなかった彼の姿に、多くのことを学んだ気がします。
残念なことに家内は在宅勤務ができなかったので、日中は僕が一人で彼の面倒をみていました。
いま、彼がいなくなってあらためて気が付いたことがあります。
彼は最終的には失禁した時に僕を呼ぶ時くらいしか鳴くことができませんでしたが、その一方で僕はものすごく彼に話しかけていたのです。「ん?おなかすいたか?」「うんち出たな、えらいえらい」「シート濡れてるの気が付かなかったよごめんごめん」「喉は乾いてないか?」「寝返りうちたいのか?」「少し眠ろうか」なんて、ずっと話しかけていました。
僕はそれほど話しかけている自覚はなかったのですが、彼がいなくなって日中一人で黙っていることが多くなって、初めて自分がどれだけ彼に話かけていたのかがわかりました。
今になって思えば大変だと思えた猫の世話をやく日々はとても楽しい毎日だったのです。
くたくたになってどこにも力が入らず、おしっこの匂いの染みついた身体はまるで子猫に戻ったようで可愛くて仕方がありませんでした。冒頭にも書いた通り世話をするのは想像以上に大変でしたが、それでもつらいとも怖いとも思ったことは一度もなかったです。
僕が住んでいる地域だけのことかもしれませんが、最近急にペットフードのコーナーに高齢猫、高齢犬の食事が増えてきたように思います。
ペット医療の技術も進みペットの寿命が延びるに従って、高齢のペットを抱える方が増えてきているのだと思います。
高齢のペットを抱えるとそれなりに生活の負担は増しますが、ペットを看取るというのは素晴らしい経験です。怖がらずに、勇気を持ってしっかりとその時間を楽しんで、最後まで面倒をみてあげてほしいと思います。
そして僕たち夫婦にももう一匹面倒をみなければならない猫が残っています。これから彼女と過ごす時間も今まで以上に大切にしていきたいと思います。
ありがとう、ユキ。よくがんばったね、おつかれさま。