人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

別れの始まり・1

永遠などないことは分かってはいたが。

 

とうとうミュウが食べなくなってしまった。

ボケてるだろ、と思うほどの猛烈な食欲だったのに、パタリと催促が止まり、こちらから出してもほとんど残してしまう。

顔を見れば「ご飯!!」と鳴いていたミュウは、今、静かにソファに座り込んでいる。

 

異変だ。異常である。本来なら、病院へ行くところであるだろう。

批判は承知だが、しかし私はもう病院へは行かないと決めていた。

病院行けば原因を明らかにし、然るべき対処をし、いくらか、いっときは、良くなるだろう。

病院は、手を尽くしてくれるのだ、生きるために。

 

しかしもう、ミョウは死に向かっている。

ストレスのたまる通院も、恐怖ばかりの検査も、心細い入院も、無理矢理飲まされる薬も、望んではいない。

21歳だ、十分生きた。人の勝手で苦痛を与えて少しばかり長生きさせることに、エゴを感じた。

ラッキーの看取りがあったからこそ辿り着いた答えだ。

 

あれはあれで、ベストだったと思っている。

私には、死を受け入れる時間が必要だった。病院が、治療がその猶予をくれたのである。

恐らくもうそう遠くない日に、ミュウは死ぬだろう。

辛いけど、覚悟はできている。前とは違う。

ミュウの尊厳を守り、あるがままの生と死を全うさせてやりたい。

 

と思うのもまた、人間のエゴなのだろうか。

私は飼い主としての責任を放棄することになる。「責任」とミュウの「尊厳」をはかりにかけた結果だ。

いいか悪いかは分からない。いいケースも悪いケースもあるだろう。

ミュウに苦痛があるならそれを取り除いてやりたいが、それもまた、通院の苦痛とはかりにかけることになるだろう。

私は神ではない。命に関わる選択をすることに、もちろん恐れはある。

しかし自然の摂理に逆らって動物を家族としたのだ、運命はこちらに委ねられている。

 

人間だからこそ、今の医学だからこそ、できることもある。

病院に行くなら、最後のチャンスになるだろう。

さっきからずっと、どうする、いいのか、と自問自答を繰り返している。

覚悟は決めたはずだけど、自信がない。

 

どうする、

いいのか・・・。

 

 

*続きがあります。