人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

長年愛されているベテラン

RV車であることが、ギリギリの救いである。

ほとんど洗車というものをしなくなって数年、その甲斐あってか、ボディの塗装が剥げてきている。

やはり太陽に垂直に当たるルーフとボンネットの剥げがひどく、もうどうにも隠しようのない状態になっていた。

自力で塗り直しても今よりはマシだろうと色々調べもしたが、面倒なだけでなくお金も掛かり、それなりの技術も必要だと分かって来たので諦めた。

もうこれは、どうしようもないのか。

幸い、RV車なのである。「手入れのされない自家用車」ではなく「年季の入ったオフロード車」というような風格は出せないだろうか。

そうか、当たり前だが気づかなかった、やはりほったらかしはいけない(笑)

塗装は剥げていても、手入れしてあればそれは「構ってもらえないオンボロ」ではなく「長年愛されているベテラン」に見えるのではないか。

実際、同じ車種で塗装の剥げているのを何度か見たことがあるが、それは「ボロ」か「年季」かどちらかに映ったように思う。

ところで、同じように塗装が剥げた車の隣に停めるのは、ちょっと恥ずかしいぞ(笑)

気持ちが分かるだけに、運転手と顔を合わせたくはないものである。

ということで、洗車をすることにしたのだ。

ちなみに最後に洗車したのは去年の夏、不憫に思ったのか突然娘ぶー子らが「一緒に洗車しよう!」と言い出したのであった。

洗車、とひとことで言っても、色々な方法がある。

洗車機は論外だ。ここまで放置して言うのもなんだが、あんなの、ちゃんと洗えてないじゃないか。というか、あれは普段からある程度こまめに洗車している人が使うものである。ここまで汚れてしまっては、どうかすると「余計にまずいこと」になりかねない。

なので、自分で洗う。

言い訳がましいが、洗車自体は好きなのである。ただ、洗車ができる状況にすることが非常に難しかっただけだ。

寒過ぎるとダメ、雨もダメ、体調が良く、時間があり、気分がいい日。

こんな日を待っているうちに「洗車」という行為の存在を忘れ果て、もうここまできてしまっては、と諦めの段階に入る。

しかし今、洗車の存在を思い出し、しかもその使命感が芽生えている。折しも娘ぶー子らとの家族旅行が迫っていた時であった。

だが時間と体力がネックだ。そこで考えた。「一日少しずつ」。

没頭しやすいことを考えても、これはいい思い付きであった。

こうして私は「今日はルーフ」、「今日はボンネット」と少しずつ洗車をしていくことにしたのであった。

久しぶりに栓をひねった水道のシャワーホースはあちこちに穴が開いていたようで、360度様々な角度から水が噴き出した。

手でそれを塞ぎながら全身水浸しで、車を洗う。

カーシャンプーを含んだスポンジでこするだけで、汚れは落ちたように見えるのに、目をこらすと縦縞がくまなく広がっている。

いいのか悪いのか分からんが、力を入れてゴッシゴシこすったが、完全に綺麗にはならなかった。

まぁいい。今後はもっと頻繁に洗ってやるつもりだ。そのうち落ちるだろう。

問題の塗装の剥げ部分は、ワックスをかければツヤがのって粋な感じになることを期待していた。

しかしツヤどころか、ワックスをかけたことすら分からないほどの乾き具合だ。カッサカサ。

そしてとうとう全部洗いあがったところで、大して綺麗には見えなかった。

確かに汚れは落ちたのだが、全く努力に見合っていない結果である。

運転手であるダンナには洗車のことは黙っていたのだが、私が言うまで気が付かなかったぐらいだ。

もう遅かったのか。

洗車の頻度を上げると決意したはずだったが、すでに思い出したくない段階に入っている・・・。