「ちょっと見て行こうかEE:AEACD」
この頃は駅に行くことがあると、噴水(今は稼働していないが)に寄るようになった。
カモの親子がいるからである。
そこで私たち夫婦は、飽くことなくカモの親子を眺める。
ある時子ガモ達は、お風呂に入れるおもちゃのように泳いでいる。
ある時は固まって眠っている。
ある時はヨチヨチ歩いている。
そんな姿を見守るように、離れて見ている親ガモ。
「可愛いなぁ。」
「いつまでも見てられるね。」
「これが可愛いと思わない人っているのか?」
そりゃいないことはないだろうが、どうして可愛いと思わないのか不思議である。
どこがいかんのだろうか。どこを取っても可愛い要素しか見当たらない。特に子ガモ集団の破壊力は凄まじい。
カモばかりではない。
私は犬猫を始めとして、動物全般大好きである。
もちろん動物が苦手な人という存在があるのも知っているが、まぁたいがい動物は人気者だ。だから動物園が成り立つのである。
しかしだ。ふと疑問に思った。
私達はなんの情報もない状態でこれらの動物を見た時に、同じように可愛いと思うのだろうか?
私達は小さなころから、絵本やテレビでその動物達を自然に吸収している。
絵本や子供番組などは、あくまでも「可愛いキャラクター」としてそれらを登場させる。
私達は「動物は可愛い」と刷り込まれる。
本物をじかに見る前に、可愛いニャンニャンやワンワンを繰り返し目にしているのである。こうなれば本物を見ても可愛いと思ってしまうのが自然だろう。
しかしもし、この地球上に猫科の動物がいなかったところ突然山奥で発見されたとしたら、それを見た最初の一人はどう思うだろうか?
私の目の前に未知の生物が現れたとしたら、それは恐怖だ。
しかしそれが宇宙人だった場合とモフモフのクリクリ目玉の小動物だった場合とで、違う気持ちになりそうだ。
私達は本能的に、動物を可愛いと思うようにできているのだろうか。
調べましたEE:AEACD(こんなことをしているから、時間がなくなるのである。)
動物は置いておいて、まずは「赤ちゃん」だ。人間は赤ちゃんが可愛いと思うようにプログラミングされているという。
可愛いと思うことから保護したいという気持ちが湧き、子供を育てていくようにできているらしい。
自分達の種を守り、増やしていこうとする動物的本能。
それではその「可愛い」と思う要素とは、どんなものなのか?
以下、「かわいい」と感じるのはなぜか?じつは脳が編み出した巧みな生存術より抜粋。
・4頭身か、それ以下。頭が大きく丸い。
・目と耳が顔の中心よりやや下に位置していることで、広いオデコを持つ。大きな目、かつ大人よりも少し離れた感覚だとなおかわいくなる。
・ちいさな未発達の鼻。
・ちいさな口。大きな口は無意識に危険性を醸し出すそうだ。大人の顔よりもより目に近く位置している。口が存在しない顔(例えば日本のアニメキャラなど)も多い。
・丸っこくてやわらかな体。手足は長すぎず、足と手の指は太く短いほうがよい。歩き方がおぼつかないようなら、なお可。プルプルふらふらしているだけで「かわいさ」が全面に出て、思わず駆け寄って助けてあげたくなるらしい。
その限りにあらずな気もするが、それこそ後から刷り込まれた情報なのかもしれない。知識のないままイルカなんか見たら、卒倒するかもしれん。
いずれにしろ、あるパターンが本能的に可愛いと思うようにできているということだ。
種を増やすのが目的なら、大人の美醜のボーダーももっと緩くしてくれればカップル成立の機会も増え、私のような不細工にもモテ期が訪れようものに。
まぁ理由はとにかく、水がなかった噴水に、可愛いカモのため市民が奔走して環境を整えたのだ。私はそれを見て、可愛いなと足を止める。
可愛いというその威力を感じずにはいられない。
子カモ達が無事に巣立ち、また来年子供と連れてやってきますようEE:AEAAB