ライブのオープニングに使えないかな?と思ったのは、その曲であった。
時の流れを感じる。
そして、人間の自己治癒力を、実感している。
母は、とても苦しんでいた。
10日間の入院生活は、苦しみ抜いたと言っても過言ではない。
死へとつながる階段だ。私などには想像の及ばない苦痛だったことだろう。
その苦しみを、取り除くことはできなくても和らげることはできないだろうか。私はずっと考えていた。
気が紛れてくれればいい。
始めのうちは色々と一方的に話しかけたりしていたが、反応がなければ虚しいし、あったらあったでそれはまた辛そうである。
そこで思いついたのが、音楽をかけることであった。
母は音楽が好きだった。
主にクラシック、特にバッハを好んていたので、シンプルなピアノ曲を繰り返しかけていた。
そんな中、母が眠っている間に病室に持ち込んだ母の自伝を読んだりして過ごしていたのだ。
母の若い頃。
戦争が終わり、街には進駐軍がやってきた。
アメリカ人には、クリスチャンが多い。教会もたくさんできた。
やがて母はアメリカ人宣教師のもとで働くようになる。
ある時、「クルセード」と呼ばれる大規模な伝道集会が催されることになった。母もその手伝いで忙しくなる。
毎日のように聖歌隊の練習があり、母はその歌に感動していた。
「Just as I am, Without one plea」。
特に素晴らしかったというその曲は、しっかりとタイトルがここに残されていたのだ。私は急いでYouTubeで検索してみる。
あった。
アカペラの合唱だ。これほどイメージの邪魔をしないものはないだろう。
早速かけてみると母は驚いたように目を開け、「これは、・・・これは、教会の・・・。」とだけ言った。
恐らく、何十年ぶりに聴いたことだろう。
それからは、バッハと共にこの曲も繰り返しかけることとなった。
バッハのピアノ曲にも、この曲にも、こうして母の最期がガッチリと刻まれてしまった。私は、聴くことができなくなった。
特に聖歌の方は他に付属する記憶が全くないので、母の死に直結する。
まぁもう、聴くことはない。そう巷に流れるような曲でもないし、自分からアクセスしなければいいのである。
それがある時、YouTubeのお気に入りを流しっぱなしにしていたら、どんどん遡ってこの曲がかかってしまったのである。
ゴォーッと音を立てるように、あの頃の想いが甦る。
それはもう、おもわず叫び出しそうなほどの想いであった。
急いで消して他の曲で上書きしたが、危険とは知りながら私はこの曲を削除することができなかった。
いつか懐かしい想いで、この曲が聴けますように。
そう願った。
これは、母の想い出だ。
そして私の想い出でもある。
あれから1年が過ぎた。
時の流れを感じる。
人間の自己治癒力を実感している。
今はもう、懐かしくこの曲を聴くことができる。
ライブのオープニングに使えるよう、アレンジしたい。