飲み続けの一週間であった。
外でとことん飲んで仕上がってれば家に帰るなり寝てまうが、家で飲むとたいがい私一人が残されることになる。
不思議なことに、どんなに疲れていても寝不足していても、夜になると元気になるのだ。お酒が入ればなおさらに。
なので、飲んだ夜の私は、しぶとい。
みんな帰ってしまいダンナも寝てしまうと、私はしばらく呆然とする。それまで楽しく遊んでいたオモチャを、突然取り上げられたような気持だ。
どうしよう。
降って湧いた自由時間だ。ホレ、好きに遊びたまえ、という状況にも違いないが、お酒が入るとできることは限られてくるのである。
一番やりたいのはゲームなんだが、酔ってやるとその部分の記憶を持ちこせずに次回非常に困ったことになる。
そもそも最近は、飲みながらゲームという器用なことができなくなってきたのだ。
コントローラーで手がふさがってるし、酔うと頭の回転も反射神経も鈍って来る。
結局いつも、YouTubeで過去のライブ動画を観るのがお決まりのパターンとなっていた。
まぁ観るには勇気のいるものである(笑)お酒の力を借りて、やっと観れるのだ。これはこれで、意味のあることだろう。ライブの反省は、必要なことだ。
その晩もみんな帰ってしまい、まずテーブルで呆然としていた。
さて、眠くないし何しようかな、と。またYouTubeか。他にやること、ないんかな。
そこでふと思い出したのだ。昔のこと。
こういうシチュエーションは、今に始まったことではない。
ダンナが早寝で私は宵っ張りであることは、昔から変わっていない。
前はこんな時、何してたんだろうかと思いを巡らせていて、思い出したのである。
チャットやってたよEE:AEB64
話し相手が欲しかったのだ。
例えばネットサーフィンなどは相互コミュニケーションがなく、一方通行だ。私は酔うと、話し相手が欲しくなるのである。
念のため言うが、出会い系的な下心のあるものではなく、同世代、同じ趣味、同じ悩みを持つ、お酒を飲んで、など、共通項のある人の集まるところに入室した。
だいたいがその場限りの集まりで、次の約束をしたり連絡先を聞いたりすることはなかった。
ただひとつだけ、特別なチャットルームがあったのだ。
それはメンヘラーのチャットルームであった。
当時私も少々病んでおり、そこに出入りするようになったのである。
何度か入室しているうちに、いつの間にか同じような時間に同じメンバーが集まるようになっていた。
約束していた訳じゃない。
「あ、今日も来たね、こんばんは。」という感じだ。
私を含めて3人。
10代の引きこもりの男の子と、20代のリストカッター、30代主婦の私。
メンヘラーというとかまってちゃんか、ちょっと面倒臭そうなイメージがあるかもしれないが、ふたりとも本当にとても思いやり深く、優しい子であった。ただとても繊細で、今にも壊れてしまいそうなもろさを抱えていた。
本人もそれを分かっており、バラバラになりそうな自分を懸命にかき集めて生きていた。
私達は深夜にそっと、お互いを慰め合う。
ある日、引きこもりの子が「今日はコンビニまで行ったんです!」と嬉しそうに報告してくれた。
小さな小さな喜びを、3人で分かち合った。
強く生きられることが、当たり前ではない。
繊細であることが、規格外なんかではないのだ。
外に出られなくなるほど、自分の体を傷つけるほど耐えている彼らは、強く生きることを強いる社会のしわ寄せではないか。
あの子達は、どうしてるだろうか。
深夜にひっそりと、ろうそくの火に手をかざすようにして語っていたあの頃が懐かしい。
彼らが今、幸せであることを、祈る。