夢も持たず、欲もかかず、ほどほど幸せであればいい。
天気が良ければそれでいいじゃないか。牛肉が半額になってたら嬉しいじゃないか。
幸せなんて、その辺にゴロゴロしているものだ。
なにもシャカリキになって努力して掴み取りにいかなくてもいいのだ。
・・・と思っていた。
努力が苦手で飽きやすいうえ、失敗しても挫折感を味わわない。
こんな人間に、高みを目指せるはずなどないのである。身の程を知っているのは、幸いであった。私は無駄な努力をしない。
夢が叶う人など、ほんの一部の優秀な人である。
やがてその「夢」のハードルすらどんどん低くなっていき、今となっては「人並みに生きる」ということすらできない人間になってしまった。
私にとって「人並みに生きる」ということすら、もはや夢なのだった。
そんな私に、占いが希望を与えたのである。
笑ってくれ、私は大器晩成型らしいのだ(笑)
とくにここ3年ぐらいからが、努力の報われる時期らしい。何でもやってみろという。
それを読んだのは「短歌でひと花咲かせてやろう」と目論んだ時であった。私は有頂天になった。
しかしその終わりは呆気なく訪れた。(呆気ない終わりはコチラ)
そして別に、惜しくも悔しくもなかった。所詮ぽ子だ。いつものことである。悔しくないので気持ちも乱されずことなく、相変わらず平和だ。夢なんかに入れ込むものではない。
そう思って生きてきたが、どうしたというのだ。私は今、努力次第で夢は叶いそうな気持になっている。
そりゃもう歳が歳なんで、あまり無謀な夢は見れない。
でも、「やってみるだけやってみてもいいんじゃないか」などと思い始めている。
きっかけがあった訳ではない。
普通に朝起きて、家事をやっていただけだ。この「普通の家事」ですら普通レベルじゃなかったものが、まずは普通になれるかもしれないEE:AEB30みたいな希望で溢れ出したのだ。
例えば、「終わったらすぐ片づける」という普通。
こういうことが、できるようになってきた(笑)
できるようになれば、次の段階に入れるのだ。「早起き」、「時間を無駄にしない」、「気がついたらすぐやる」。
こういうことが回り出すと、まるで大きなうねりを持って前進していくみたいな感じになって来る。
もっとできる。へ、部屋が片付くかもしれんEE:AEB30
部屋が片付けばそれをキープすればいいだけで、もう片づけなくていいのだ。時間ができる。
何をする?
私は夢を描いた。
こっ恥ずかしいのでザックリぼかすが、ひとつは音楽関係でやりたかったこと。これは、形に残せればいい。もちろん一応欲はかいておくが。
もうひとつは、文章をかくこと。これこそ「夢だ」。数うちゃ当たるの精神でいってみる。
そしてもうひとつ、手に職をつけたい。好きなことで稼ぎたい。これは一から始めなくてはならないので、現実を知ったら諦めるかもしれないが。
あぁ、夢EE:AEAAB
今までの私は、どんな小さなことにおいても成功のビジョンを描くことができなかった。
ほどほどで満足し、できないことには「そこが自分の限界」と簡単に、そこを上限とした。
それが、「やらないのに叶う訳がないじゃないか。つまり、やれば叶うかもしれない。」という当たり前の「夢」になったのである。
それから私は、どんどん夢を見ることにした。
自分は変われる可能性がある。
自分を諦めない。
時間が全然足りない。それすら幸せだ。私には今、やるべきことが溢れている。そのどれもが、成功へと繋がっている。
とにかく最初の大きな夢は、「家が完全に片付く」である。
これがさらに大きな夢へと続いていくのだ。ぞうきんがけですら、楽しい。
・・・とここで終わるはずであった。
私の未来は夢と希望に満ち溢れていたはずだったのに。
急に暑くなって私はまだ体調を崩した。
病気ならまだいい。治療法がある。ここ数年続いている、原因不明の初夏の不調だ。
もう本当に忌々しい、何なんだあれは一体。
この不調の前に、私は夢を抱き続けることができるだろうか。
諦めないEE:AE4E5
小さくても、前へ進むぞEE:AE474