このところ、娘ぶー子と出掛ける用事が続いて入っている。
夫婦ふたりで出掛けるような場所ではなく、久しぶりに「家族でおでかけ」という感じだ。
「休日っていいねぇEE:AEAAB」
どう過ごそうかあれこれ考えていると、心が躍る。
一応私は専業主婦だが、ちゃっかり休日は休んでいるので、私にも休日はあるのだ。
「やっぱり休日が有り難いのは、『仕事』っていう必要悪があるからなのかもしれないね(笑)」
そう考えれば、仕事もまた、なくてはならない大切なものである。生活の糧としてではなく、存在として。私達を幸せにする、重要な役者なのだ。
必要悪。
この世の中には、なくてはならない悪というものもある。
善と悪、陰と陽、苦に楽。
お互いに、その対象があるからこそ、自身が映えているのだ。
この世の中が善ばかりだったら、悪は起こらないだろうか?
「ねぇ、もしこの世の中に戦争がなかったら、ずっと平和でいられるんだろうか?」
戦いのない世界。戦いを知らない人々。
知らないから、恐れることもない。その平和のありがたさを知ることもない。
そうなると、おのずと戦いは起こるのではないか。
戦争を、必要悪などとは言いたくない。
しかし人間は愚かだ。
体験し、語られ、恐れがなければ、罪を犯すのではないか。
幸い「想像力」というものも備わってはいるが、さすがにゼロからの想像は無理だ。できたところで映画のようなフィクションであり、現実味が伴わない。
病があるから、健康の有難みが分かる。
失敗があるから、慎重に生きることができる。
死があるから、真摯に生きようと思う。
戦争があるから、平和の有難みが分かる。
戦争映画なんかを見ると、銃を持って敵地に乗り込んだりする兵士がいる。
自分が住む土地に、敵兵が銃を乱射しながらやってくる。
火炎放射器。
爆弾。
原爆。
そんな中にいなくて、自分は本当に幸せだと思う。
もう十分でしょ。戦いはやめましょう。
そう言っても、何十年、何百年と経ったら、私達はまた戦っているのかもしれない。
そうしないと、平和は生まれてこないのだろうか。
にくったらしい奴も、忌々しい出来事も、私を幸せにする一部だと考えてやる。
ありがとう、私を幸せにする不幸。