人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

必要悪

このところ、娘ぶー子と出掛ける用事が続いて入っている。

夫婦ふたりで出掛けるような場所ではなく、久しぶりに「家族でおでかけ」という感じだ。

「休日っていいねぇEE:AEAAB

どう過ごそうかあれこれ考えていると、心が躍る。

一応私は専業主婦だが、ちゃっかり休日は休んでいるので、私にも休日はあるのだ。

「やっぱり休日が有り難いのは、『仕事』っていう必要悪があるからなのかもしれないね(笑)」

そう考えれば、仕事もまた、なくてはならない大切なものである。生活の糧としてではなく、存在として。私達を幸せにする、重要な役者なのだ。

必要悪。

この世の中には、なくてはならない悪というものもある。

善と悪、陰と陽、苦に楽。

お互いに、その対象があるからこそ、自身が映えているのだ。

この世の中が善ばかりだったら、悪は起こらないだろうか?

「ねぇ、もしこの世の中に戦争がなかったら、ずっと平和でいられるんだろうか?」

戦いのない世界。戦いを知らない人々。

知らないから、恐れることもない。その平和のありがたさを知ることもない。

そうなると、おのずと戦いは起こるのではないか。

戦争を、必要悪などとは言いたくない。

しかし人間は愚かだ。

体験し、語られ、恐れがなければ、罪を犯すのではないか。

幸い「想像力」というものも備わってはいるが、さすがにゼロからの想像は無理だ。できたところで映画のようなフィクションであり、現実味が伴わない。

病があるから、健康の有難みが分かる。

失敗があるから、慎重に生きることができる。

死があるから、真摯に生きようと思う。

戦争があるから、平和の有難みが分かる。

戦争映画なんかを見ると、銃を持って敵地に乗り込んだりする兵士がいる。

自分が住む土地に、敵兵が銃を乱射しながらやってくる。

火炎放射器。

爆弾。

原爆。

そんな中にいなくて、自分は本当に幸せだと思う。

もう十分でしょ。戦いはやめましょう。

そう言っても、何十年、何百年と経ったら、私達はまた戦っているのかもしれない。

そうしないと、平和は生まれてこないのだろうか。

にくったらしい奴も、忌々しい出来事も、私を幸せにする一部だと考えてやる。

ありがとう、私を幸せにする不幸。