父のところでご飯を食べてきた。すっかり懐いている(笑)
一緒に暮らしていた母がいなくなってしまったのだ。寂しいだろうことは容易に想像できる。
想像すると、それはもう可哀想なものだ。
年老いた老人が、妻に先立たれてひとり。
「年老いた」がポイントである。これが若かったら、はた目からの哀れ感はまだ少ない。
例えば、老人が転ぶのと若者が転ぶのと。
例えば、老人が道に迷うのと若者が道に迷うのと。
例えば、老人が財布を落とすのと若者が財布を落とすのと。
もう老人だと言うだけで、哀れ感が劇的に上がるのである。
そしてそれが私を苦しめるのだ。
「じゃあね。」と別れると、父はいつまでも見送ったりはしない。サッサと来た道を戻る。
年老いた父が、ヒョコヒョコと早足で消えていく。
それすら悲しい。
スリッパ履かないで部屋を歩いてるだけで、悲しい。
トイレで痰つば吐いても、悲しい。
「お母さん、ぽ子が来たよ。」とか言うなよ、悲しくなるじゃないかEE:AEB64
もう、何やっても悲しいんだよEE:AEACB
どうせ死んじゃうんだから。