刻々と進行している。
この流れはもう、とめられないのだろうか。
その変化に気付いたのは、手紙を書こうと思った時であった。
どうもこの頃、小さい文字が書きづらい。
それが老眼であると思い当たり、軽いショックを受けたのは、40歳になる頃だったか。
そしてある時、100均で老眼鏡を試しにかけてみたら、驚くほど見やすくて大きなショックだ。これで老眼であることが確定したのである。
ひとつ買って帰ったが、やがて手放せなくなってくる。
スマホが関係あるのか、ここ最近で老眼が加速している気がする。
本当に、見えない。
老眼鏡がないと、文字が見えないのである。
恐らく私より先にこの状態に入ったと思われる某ギタリスト氏は、「メガネがない」といって頭の上のメガネを探すという昭和のギャグのようなことが何度も起こっていると言っていたが、私がそうなるのにも、時間はかからなかった。
もういちいちつけたり外したり、煩わしいのである。
なぜ老眼鏡は、遠くが見えないのだEE:AE4E5
もう老眼鏡なしでは文字が見えないので、どこにでも持って出る必要性が出て来たのだ。
ところが私はしょっちゅう忘れて来て、出先で困ることになる。
もうどこにいても困らないよう、あらゆる場所に老眼鏡を置くことにした。
ベッドにひとつ。
合唱・ゴスペル用のバッグにひとつ。
お出かけ用のバッグにひとつ。
リビングの定位置にひとつ。
頭の上にひとつ。
これだけあれば困るまい。
「なくて困る」という状況はなくなったが、しかし老眼鏡の「遠くは見えない」という性質はどうしようもない。
そう言う意味では、まだ困っている。
家にいる間はメガネを頭にかけて、必要な時だけ目の位置に下ろすようにしているが、さすがに外でそれはできない。
例えば電車やバスでスマホを見る時、買い物で商品の情報を手に取って見る時、・・・結構困るシーンはある。
先日リサイクルショップで本を売った時には、氏名住所電話番号などを紙に書かされたが、職業を選択する欄が全く見えず、適当に丸をしてしまった。
ダンナはついに、遠近両用メガネを作ってもらったところだ。
さぞかし便利になったことだろう。
しかし私の視力は両目とも1.5、遠近の「近」がない。
諦めていたところ、いい話を聞いた。
老眼と、度の入っていないいわゆる伊達との両用があるというのだ。
AMAZONで安く売ってるらしいので、探してみる。
若い頃憧れていたメガネが、こんな形で叶うとは。