果たしてその朝、私を起こしたものは、
こむらがえりであったEE:AEB64
またかよ、しかも今度は足の裏とか、どうしろってんでいEE:AE474
寝っ転がったまま足先を色んな向きに動かしてみたが、どれも解決には繫がらない。
そこで「立ち上がるといい」という話を思い出し、思い切って立ち上がってみた。
押し寄せていた痛みが、スッと引いていく。
しかしこちとら寝起きだ、立っているのも楽ではない。
ちょっとベッドに腰かけてみると、グググググ、と痛みが戻って来る。
あ、そう、立ってなきゃダメなのねEE:AEB64
こうして立ったり座ったりを繰り返し、不快ではあったがさほどひどい目には合わずに今回は何とか切り抜けることができたのだ。
今回は何とか地獄を免れたが、それにしても前回は本当に苦行であった。
たかがこむらがえりだが、「たかが」というには残忍過ぎる。
情けも容赦もない、突然のあの痛み。ぶつけどころのない怒り。
果たしてこむらがえりの痛みは「たかが」と言っていいものなのか?
「ねぇ、ぎっくり腰と足がつるのと、どっちが痛い??」
ダンナに問うてみた。
「へっEE:AEB2F」
「ぎっくり腰」と「足がつる」である。
「魔女の一撃」などと呼ばれ、私の知り合いをも何人も苦しめて来た正統派激痛群の代表格と、かたや医者いらずのこむらがえりだ。
一瞬ダンナは間の抜けたような声を出したが、あれこれ考え、結果、「瞬間的な痛みは同等かもしれない」と言った。
ぎっくり腰も痛い、相当痛い、しかしその苦痛の元凶は、痛みが絶え間なく長時間に及ぶからだと思う。
痛みの程度だけを比べるなら、どちらもあまり変わらないのではないか、ダンナはそう言った。
斬新な答えである。
私が過去に経験した痛みの最強は、出産だ。あれに比べればこむらがえりなど「たかが」と言ってもいいだろう。
しかし出産の苦痛は、やはりそれが長時間に及ぶこと、間欠期はあれど、束の間である。
やっと解放されたと思ったら、またすぐやって来るのだ。それが数時間。ウンザリだ。
しかしあの痛みの時間が、こむらがえり程度だったらどうだろう?私は十分に耐えうるはずだ。
逆にこむらがえりの痛みときたらどうだ?
情けない話だが、私はあ~とかう~とか喚いたぞ。本当に痛かったのだ。
こむらがえりの痛みが激痛史に残らないのは、その痛みが比較的短いからというだけではないのか?
「痛み」というものは、その持続時間によって苦痛が変わって来るのだ。
故に、その純粋な「痛みそのもの」の強度は、なかなか正確に表現されないのかもしれない。
こむらがえり、ナメんなEE:AEB64
地獄行きの人をひとりでも減らすため、私が学んだことを伝えたい。
むこうずねがつったら、つま先を伸ばす。
ふくらはぎがつったら、つま先を手前に引く。
足の裏がつったら、立ち上がれEE:AEB30
余談だが、この他に「痛かったこと」で記憶に残っていることは、足首の捻挫、開腹手術の直後、尻の筋肉注射ぐらいである。
どれも瞬間的であったり、工夫次第で痛みを軽減できることから、さほど地獄としての記憶にはなっていない。
やはり「痛み」とは、持続時間と密接な関係にあるように思う。
となると、こむらがえりの破壊力は、なかなかのものではなかろうか。