人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子54歳。

 

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追憶・1

今回は、単なる回想だ。オチもストーリーもない、過去の思い出のだだ流しである。

前回の続きになるが、快眠を得るために寝る前にボーッと子供の頃を思い出しているのだ。

もちろん、いい思い出ばかりではない。

特に学校生活においては完全な落ちこぼれで、悲惨な思い出ばかりである。

それも時間経過で、思い出すことにさほど苦痛を感じなくなっていた。

二度と戻りたくはないが。

学校が終わってから友達と遊んだことには、多くの楽しい思い出があった。

小学校3年までは団地に住んでいたのだが、目の前は広い芝生になっていて、良くそこで遊んだものだ。

鬼ごっこやかくれんぼ、かごめかごめや花いちもんめ、昭和だ(笑)

良く見ると芝生に色んな雑草が混じっていて、ままごとに使ったりした。

ゴミ箱漁りも、宝探しのようで楽しかった。

ただしこれは、大人に良く怒られた。

洗剤の容器に水を入れて泡立てたり、乾燥剤に水入れたり。

海苔の空き缶とか、ままごとにもってこいであった。

風が強い日に発泡スチロールを団地の壁で擦って、雪降らせたぞ。

団地の横はこれまた広い遊歩道になっていたので、ここも格好の遊び場となっていた。

コンクリートにろうせきで線を書き、ゲームをした。

ローラースケート。縄跳び。ゴム跳び。チャチャ。

男子たちはグラウンドで野球をやったりしていたが、私は近所のチビたちと団地前の狭いスペースで野球のまねごとをやっていた。

相手はチビなので、私が一番強かった。私が投げれば誰も打てなかったのだが、ある日そこにクラスの男子が通りがかったのだ。

絶対に打てっこない、と豪語して、私は彼をバッターボックスに招いた。

これが、簡単に、団地の3階まで届くようなホームランを打たれてしまい、ショックを受けたことを覚えている(笑)

こうしてみると、運動は嫌いだったが、意外と外で遊んでいたものである。

家では一応女の子らしく、着せ替え(首がすぐに折れる)や人形遊びをしていた。

リカちゃんが人気だったが、私が持っていたのは「パットちゃん」という、スカートがパッと広がるやつであった(笑)それに合わせて、パットちゃんステージも買ってもらった。

しかしリカちゃんニューマンションも捨てがたく、誕生日にねだって買ってもらった記憶がある。

千代紙も流行り、折るのではなく、交換することを楽しんでいた。

その名残か、今でも綺麗な紙をを見ると欲しくなってしまう。

ごっご遊びも良くやった。今でいう、ロールプレイングだ(笑)

恥ずかしい遊びである。親とかに聞かれていただろうかEE:AEB64

兄との遊びは、結構高度なものであった。

なにしろ兄はちょっと変わり者の凝り性だったので、遊びの発想も手が込んでいた。

ダイニングチェアを横に倒して連結し、電車と見立てての電車ごっこ。

兄はお菓子の箱を使って、切符の販売機まで作っていた。

これは私の企画だったが、当時「ニュースセンター9時」というニュース番組があり、それをパロッて「ゲームセンター9時」という催しをした。

いくつかのアトラクションを用意し、兄が希望したものを実施する。

兄と違い、私は本当にアホだったので、下らないアトラクションばかりである。

例えば「イヤハンお風呂」。

四角いフラットのピアノイスを横に倒してそこに隠れ、顔を出す時に「イヤハン」と言うのである(笑)

「ゆげゆげゆげゆげ」と言うだけで爆笑していた兄弟である。この「イヤハン」は効いた。

「乗ってけサーフィン」は危険なアトラクションであった。

先のピアノイスの足を外して束ねるように並べ、その上にイスの座る部分を乗せる。

イスの足は円柱なので、上に乗っている部分は不安定に動いてしまう。

この上に乗るのである。

当然どちらかに大きく動いて、転ぶ。

乗ってけサーフィン。

きりがないので、この辺にしておく。

とは言っても上限はあるようで、ひと通り思い出してしまうと、尽きてしまった。

なので結局は繰り返し思い出すことになるのだが。

次回は、嫌な思い出の方を語る。

休み中~明けにかけてはまた忙しいので、日記はお休み予定。

では元気があったら火曜日にEE:AEAAB