人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

平和の中に潜む恐怖

【警告・ちょいと今回は残忍な話をします。繊細な方は読まんといて下さい。】

 

 

私は時々、恐ろしいことを考える。

好きで考えているのではない。

怖いから、考えてしまうのである。

例えば、戦争になったらどうしよう、といったことを、リアルに情景まで想像してしまう、そんな感覚に近い。

 

私は怖いのだ。そんなことが起こったら自分は気が狂うんじゃないか。それほどのレベルの恐怖が自分の身に起こったら。

そんなあまりに、つい考えてしまうのである。

 

それは恐ろしい想像である。

絶対にあって欲しくない事態だ。

例えば、高層ビルの屋上から渡された30センチ幅の手すりのない橋なんかあったら、きっと私は落ちる。

普通に歩けるはずなのに、もうダメだ、落ちる、という気持ちに引きずられて落ちるのである。

それと同じで、このような非現実的な恐ろしい想像に引きずられていくのである。

私も辛い。

こんなこと考えたくないのに、恐怖のあまりにその想像に引っ張られていくのである。

 

 

私が一番恐れていることは、大切な人たち(や猫EE:AE4DB)を失くすことである。

しかし命あるものは、いつか死ぬ。

まず私は、その段階の恐怖から引っ張られ始める。

その人が死んでいる姿。

動かず、冷たくなった、ただの物体だ。もうそこにその人はいない。

恐怖。

 

しかもそれが、病院のベッドでの厳かな死じゃなかった場合。

ドアを開けたら首をつって死んでいた。

私は叫び出しそうになる。

恐怖。苦しい。

 

もし目の前で殺されてしまったら。

それも、とっても酷い殺され方。

トラウマだ。立ち直れる自信がない。

 

そこに残された体が、正しくあるべき状態からかけ離れていればいる程、その苦しみは大きい。

と同時に、不思議な感情が湧いてくる。

怒りと、悲しみと、哀れみと、諦めとがないまぜになった、不思議な感情。

このあたりまで来ると不快感で落ち着かなくなってくる。

 

よせばいいのに、私は「恐怖」に囚われて、さらに先に進んでしまう。

死んだのはダンナだ。

ダンナは首を落とされて死んでしまったのだ。

体は首を求めて、這いつくばっている。顔は困惑したように歪んでいた。

やがてその地は、首なしオバケの出る心霊スポットなどと言われるようになる。

そこへ行くと、ダンナが自分の首を探して、彷徨っているのだ。

泣けてきた。

あんたらは夜中に群れて面白半分に見に来るんだろうが、ふざけんなよ、ダンナはホントに困ってるんだよ!

 

 

あんまりしんどいんで、もうこんなことを考えるのは止めたいと思うのだが、止めよう止めようと思うほどに、心の隙間を突くように湧き上がって来る恐怖の誘惑。

 

日本が平和で良かったと思う。これは「想像」の範囲で済む話だ。

と同時に、どこか遠いところで繰り広げられている殺戮の世界。

これらの想像が現実になりかねない世界。

 

世界が平和であって欲しいと、切に願う。