【警告・ちょいと今回は残忍な話をします。繊細な方は読まんといて下さい。】
私は時々、恐ろしいことを考える。
好きで考えているのではない。
怖いから、考えてしまうのである。
例えば、戦争になったらどうしよう、といったことを、リアルに情景まで想像してしまう、そんな感覚に近い。
私は怖いのだ。そんなことが起こったら自分は気が狂うんじゃないか。それほどのレベルの恐怖が自分の身に起こったら。
そんなあまりに、つい考えてしまうのである。
それは恐ろしい想像である。
絶対にあって欲しくない事態だ。
例えば、高層ビルの屋上から渡された30センチ幅の手すりのない橋なんかあったら、きっと私は落ちる。
普通に歩けるはずなのに、もうダメだ、落ちる、という気持ちに引きずられて落ちるのである。
それと同じで、このような非現実的な恐ろしい想像に引きずられていくのである。
私も辛い。
こんなこと考えたくないのに、恐怖のあまりにその想像に引っ張られていくのである。
私が一番恐れていることは、大切な人たち(や猫EE:AE4DB)を失くすことである。
しかし命あるものは、いつか死ぬ。
まず私は、その段階の恐怖から引っ張られ始める。
その人が死んでいる姿。
動かず、冷たくなった、ただの物体だ。もうそこにその人はいない。
恐怖。
しかもそれが、病院のベッドでの厳かな死じゃなかった場合。
ドアを開けたら首をつって死んでいた。
私は叫び出しそうになる。
恐怖。苦しい。
もし目の前で殺されてしまったら。
それも、とっても酷い殺され方。
トラウマだ。立ち直れる自信がない。
そこに残された体が、正しくあるべき状態からかけ離れていればいる程、その苦しみは大きい。
と同時に、不思議な感情が湧いてくる。
怒りと、悲しみと、哀れみと、諦めとがないまぜになった、不思議な感情。
このあたりまで来ると不快感で落ち着かなくなってくる。
よせばいいのに、私は「恐怖」に囚われて、さらに先に進んでしまう。
死んだのはダンナだ。
ダンナは首を落とされて死んでしまったのだ。
体は首を求めて、這いつくばっている。顔は困惑したように歪んでいた。
やがてその地は、首なしオバケの出る心霊スポットなどと言われるようになる。
そこへ行くと、ダンナが自分の首を探して、彷徨っているのだ。
泣けてきた。
あんたらは夜中に群れて面白半分に見に来るんだろうが、ふざけんなよ、ダンナはホントに困ってるんだよ!
あんまりしんどいんで、もうこんなことを考えるのは止めたいと思うのだが、止めよう止めようと思うほどに、心の隙間を突くように湧き上がって来る恐怖の誘惑。
日本が平和で良かったと思う。これは「想像」の範囲で済む話だ。
と同時に、どこか遠いところで繰り広げられている殺戮の世界。
これらの想像が現実になりかねない世界。
世界が平和であって欲しいと、切に願う。