娘ぶー子が家を出て3年。
とは言っても、何度も挫折して帰って来たので、最終的な自立はフェイドアウト的な感じであった。故に、また帰って来るような気がして、どこか実感がない。
と同時に、彼女のいない生活もすっかり定着し、静かな夫婦だけの時間が流れている。
そんなフェイドアウトの状態だったので、ぶー子の部屋はしばらく出て行った時の散らかったままになっていた。
やがて「いよいよ今回は長そうだ」と分かると、簡単に片づけた。
そのまま部屋の主は戻らず、とうとうそこはダンナの寝室になった。
とは言っても、ぶー子の部屋でダンナが寝ているだけだ。部屋の様子はほぼそのまんまである。
私が実家を出たのは、19の時であった。
ちょくちょく遊びに帰ったりしたが、ぶー子のようにそこに戻ることはとうとうなかった。
それでも私の部屋は長いこと、そのままの状態になっていた。
なんでこの部屋、使わないんだろうとずっと思っていたが、今、それが何となく分かるような気がする。
先日布団を干そうと今はダンナの寝室となったぶー子の部屋に入ったのだが、もう残っているものは整理していいと言われていたのだ、ちょっと処分するかと部屋を見まわしてみた。
壁に掛けられた大きなユニオンジャックとネックレス。
コルクボードには、ガーベラの造花と友達の写真や手紙が飾ってあった。
壊れたコンポ。
ダンナが選んだうさぎのぬいぐるみのスピーカー。
飾るようにレイアウトして置いてあるアクセサリーとサングラス。
どれもその場所は変えぬまま埃だけがかかっていて、時の流れを感じる。
彼女はもう、ここへは戻らないのだろうか。
これらを処分しても、誰も困りはしない。むしろ部屋が空いて、有効に使うことができるだろう。
しかしやはり、そんな気持ちにはなれなかった。
ぶー子がここで暮らしていた証を消してしまうのが怖い。
3年前のまま、残っているこの部屋。
そこにはまだ、ぶー子の生活も残っていた。
時を止めて佇まいはそのままに埃だけがつもっていく様は、どこか廃墟を思わせる。
この部屋は死んでいる。
ぶー子がそこにいた証をとどめたまま。
意外と母は、私のことを想っていてくれたのだろうか。
あの部屋の窓ガラスには、私がスプレーで描いたラクガキやステッカーがいつまでも残っていた。