人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

娘ぶー子が家を出て3年。

とは言っても、何度も挫折して帰って来たので、最終的な自立はフェイドアウト的な感じであった。故に、また帰って来るような気がして、どこか実感がない。

と同時に、彼女のいない生活もすっかり定着し、静かな夫婦だけの時間が流れている。

そんなフェイドアウトの状態だったので、ぶー子の部屋はしばらく出て行った時の散らかったままになっていた。

やがて「いよいよ今回は長そうだ」と分かると、簡単に片づけた。

そのまま部屋の主は戻らず、とうとうそこはダンナの寝室になった。

とは言っても、ぶー子の部屋でダンナが寝ているだけだ。部屋の様子はほぼそのまんまである。

私が実家を出たのは、19の時であった。

ちょくちょく遊びに帰ったりしたが、ぶー子のようにそこに戻ることはとうとうなかった。

それでも私の部屋は長いこと、そのままの状態になっていた。

なんでこの部屋、使わないんだろうとずっと思っていたが、今、それが何となく分かるような気がする。

先日布団を干そうと今はダンナの寝室となったぶー子の部屋に入ったのだが、もう残っているものは整理していいと言われていたのだ、ちょっと処分するかと部屋を見まわしてみた。

壁に掛けられた大きなユニオンジャックとネックレス。

コルクボードには、ガーベラの造花と友達の写真や手紙が飾ってあった。

壊れたコンポ。

ダンナが選んだうさぎのぬいぐるみのスピーカー。

飾るようにレイアウトして置いてあるアクセサリーとサングラス。

どれもその場所は変えぬまま埃だけがかかっていて、時の流れを感じる。

彼女はもう、ここへは戻らないのだろうか。

これらを処分しても、誰も困りはしない。むしろ部屋が空いて、有効に使うことができるだろう。

しかしやはり、そんな気持ちにはなれなかった。

ぶー子がここで暮らしていた証を消してしまうのが怖い。

3年前のまま、残っているこの部屋。

そこにはまだ、ぶー子の生活も残っていた。

時を止めて佇まいはそのままに埃だけがつもっていく様は、どこか廃墟を思わせる。

この部屋は死んでいる。

ぶー子がそこにいた証をとどめたまま。

意外と母は、私のことを想っていてくれたのだろうか。

あの部屋の窓ガラスには、私がスプレーで描いたラクガキやステッカーがいつまでも残っていた。