日記を処分することにしたのだ。
長い長い日記である。
間も長く長く抜けているが、18歳から書き始めて、最後は去年あたりにちょっと書いたか。
ブログがあるのでわざわざ書くことはない。何を書くかというと、ブログに書けないことである(笑)
日記というものは人に見られる前提になっていないので、本心が赤裸々に綴られているものだ。
赤裸々の本心などというものは客観的に見れば醜いものが多く、読み返して気持ちの良いものではない。
しかしそれは私が普段押し込めている抑圧された部分であり、こうしてどこかに噴出させることで平静を保つことができるということもあったのだ。
愚痴など人に垂れても迷惑なだけである。
私はその紙のページに、ダラダラと思いのたけを綴る。
もちろん、いい思い出もたくさんある。
懐かしい出来事もたくさん書き残されている。
手放せばそれは、記憶の彼方へ消え去ってしまうかもしれない。
しかし理不尽な思い出も多々書き残されているはずだ。
「忘れない」という、ささやかな仕返しのつもりであった。
私は読み返すたびに怒りを新たにし、「もう2度はない」と誓う。
それでも心に負担がかかるのは、読み返し、怒り新たにした自分だけなのである。
忘れてしまうほどの決意なら、いっそ忘れてしまった方がいいのではないか。
鬱憤のはけ口のようなページは、私の我慢の証であった。
頑張ったね、と言ってあげられるのは自分だけだ。
これを抹消するのが怖かったのだ。
それでは過去の自分に価値を見い出すための日記になってしまう。
今ある自分だけで十分だという自信を持ちたい。
そして過去のしがらみを断つことにする。
忘れる、という大らかさを大切にしたい。
前だけを向いていく。
あ!
でも、いい思い出だけ切り取って残すことにするよEE:AEACD