親兄弟は健在、価値観を共有できる家族があり、一緒に趣味を楽しめる友人がいる。
これを幸せと言わずして、なんと言おう。
こんな事をぬけぬけと言えば、つらい状況にある人には嫌らしく聞こえるかもしれない。
しかし今、私は思う。
幸せとは、罠だ。
幸せは人を怠惰にする。
あたかも見えない将来までも、幸せが続くような錯覚に陥ってしまう。
私達は常に十分気をつけなくてはならない。
幸せに溺れて周りが見えなくなっていないか。
自分は精一杯生きているか。
そう考えると、幸せとは恐ろしい罠だ。
実は少しずつ近づいている不幸の予感を、感じ取ることができるだろうか。
手遅れになる前に。
ある意味「困難」は、目標が分かりやすい。
つらい状況に嘆き悲しんでも、自分のとるべき行動はある程度絞ることができる。それが分かるのなら、辛くとも進むのみだ。
しかし平和な時において、私達は目標を失いやすい。
今この時こそしっかりと周りに耳を澄ませ、自らの行動が正しいか自問自答し、転落へのきっかけを作らないようにしなくてはならない。
私は正しく生きているだろうか。
時々訪れる、まるで私を試すようなできごと。
むしろそれには感謝しなくてはならないのかもしれない。
私が溺れないように、誰かが「不安定な中にいる」ということを気づかせてくれる。
感謝と戒め。
これを忘れないようにしたい。