人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

冬のコード理論

布団に入るとスマホをいじる事が習慣になってしまった。

これまでは睡眠障害対策として、眠くなるまで本を読んでワンクッション置いていたのだが、おかげでゆっくりながらもコンスタントに本を読むことができていたのだ。

ところがここ数ヶ月、全く本を開いていない。

本は一応、枕元にあるのだが。

読む気を削いでいる本のタイトルは、「標準 ポピュラー・コード理論 ポピュラー音楽におけるコード理論のオーソナリティ」となっている。すでにタイトルで遭難している。

こんな本を選んだ理由は、読書もいいが、勉強も兼ねたらもっと自分は前進できるのではないかと。前進が無理でも、眠くはなるはずだ(笑)どっちに転がっても悪くない。

私には、コードの概念というものがない。

もともとクラシックから入り、バンドもコピーバンドだ、真似ができればいいのである。

ところがこうして活動が長くなってきて、私は認めざるを得ない。

「コード理論」を理解しているのといないのとでは、演奏に歴然とした差が出ることを。

痛感するのはアドリブや、その場のノリなどでいきなり合わせることになった時。つまり、ある程度自分で考えなくてはならない場合だ。

理論がないのである、楽譜なしで弾けるはずがない。

なので適当に予測して弾くのだ、勘である、当たるも当たらぬも八卦の世界だ。

それでも繰り返すうちに、何らかの規則性を何となく確立しつつはある。

非常に狭い世界だ。いわゆる「無難」というパターンの繰り返し。

こんなんでステージに立っているのである。「私はヘタクソです」と宣伝しているようなものだ。

もっと上手くなりたい。

それはハノンやソナチネを弾くという意味ではない。

脳味噌から始めなくては、指も上手く弾きようがないのである。

勉強だ。

コード理論を学び、もっと自由に、もっと自分らしく弾けるようになろうじゃないか。

この本は、誰にでも分かるように丁寧に説明してはくれるのだが、音符が出てくると、頭の中で音を想像して出さなくてはならない。

マイナースケールの行きと帰りの音が違うとか、そんな些細で重要なものを脳内で演奏することは私には難しい。

枕元に、ミニキーボードを準備した。

しかし今度は、なかなかやる気にならない。

所詮勉強である。キャンディクラッシュとどっちがいいかと言われれば、答えは決まっている。

そうこうしているうちに夜は冷え込むようになり、猫が布団に入って腕枕で寝るようになった。

片腕がっちり、ロックされた状態である。ちなみにキャンクラは片手でもできる。

こうして私のコード理論は、13ページで止まっている。

続きは春だろうか。