人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

新しい習慣の新しいハードル

「そこ」には、見たくないものが詰まっている。

キッチンの大きな引き出しだ。「大きな」引き出しに「詰まっている」のである、見たくもなくなる。

しかし逃げていれば、何も変わらないのだ。このままでは開かずの引き出しとなってしまう。

ほとんどがお菓子である。

気まぐれで買ったもの、貰ったもの。

いずれにしろ甘いものもスナック菓子も食べる習慣がないので、ここに入ったきりになってしまうのである。

やっと決心して、消費することにしたのだ。習慣がないなら、習慣を作る。

毎朝少しずつ、食べていくことにしよう。

朝からかっぱえびせんだぜ・・・。

多くは、母からの貰い物である。

年寄りというのは、菓子を持ち寄り集まっては、長々と喋り続けるものだ。

母もこういうのは苦手らしい上に、お菓子を食べない。

それを持って帰って溜まってくると、うちによこすのである。

実家にそのまま置いておけば、賞味期限が切れて捨てることは目に見えている。

その存在を知らなければ痛くも痒くもないが、ひとたび「これいらない?」などと言われてしまうと、もう共犯なのである。

何度も書いているが、私はケチでしみったれた女だ。食べる予定がなくても、お菓子がみすみす捨てられるのは耐え難い。

私が食べればいいのだ。それで丸く収まるのである。

そう思って毎度もらってきてしまうのだが、そもそも関心のある物でもないのでやがて忘れる。

ところが今日、思い出したのだ。新たに母からお菓子を貰ったからである。

それは正直、全く食べたいと思わせるような代物ではなかった。

しかし母が「いらないなら処分しちゃっていいから。」などと言うので、私が貰わないと処分が確定される事が分かってしまった。

これは、普段のお茶飲みのお供のような、気軽なものではなさそうだ。

綺麗に包装され、どうやらお土産のようである。

チッ、しょうがない、どうせ私は最終処分場ですよ、ハイハイ、何でも承りますよ。

それを受け取ると、思いがけず重い。

お菓子とは思えないような重さだったので、包装紙から出してみた。

はっ?これ、お菓子!?

それは5センチ×15センチほどの茶色い板であった。粘土かと思った。

そこには「沖縄名産ナントウ餅」と書かれていた。

原材料名を見ると、「モチ米、砂糖、ゴマ、ピーナッツ、こしょう、味噌」となっている。

これは・・・、高いハードルである・・・。

しかも家に帰ってもう一度見たら、「固くなった時のお召し上がり方」などと書いてある。

これ、すでにコッチコチなんですけど・・・・・・。

そういえば母は、「お菓子なんかちょっとぐらい古くたって大丈夫」というようなことを言ったような気がする。

賞味期限は書いていない。

このハードル、越えられるだろうか。

越えられなければ廃棄である。

キツい。