「そこ」には、見たくないものが詰まっている。
キッチンの大きな引き出しだ。「大きな」引き出しに「詰まっている」のである、見たくもなくなる。
しかし逃げていれば、何も変わらないのだ。このままでは開かずの引き出しとなってしまう。
ほとんどがお菓子である。
気まぐれで買ったもの、貰ったもの。
いずれにしろ甘いものもスナック菓子も食べる習慣がないので、ここに入ったきりになってしまうのである。
やっと決心して、消費することにしたのだ。習慣がないなら、習慣を作る。
毎朝少しずつ、食べていくことにしよう。
朝からかっぱえびせんだぜ・・・。
多くは、母からの貰い物である。
年寄りというのは、菓子を持ち寄り集まっては、長々と喋り続けるものだ。
母もこういうのは苦手らしい上に、お菓子を食べない。
それを持って帰って溜まってくると、うちによこすのである。
実家にそのまま置いておけば、賞味期限が切れて捨てることは目に見えている。
その存在を知らなければ痛くも痒くもないが、ひとたび「これいらない?」などと言われてしまうと、もう共犯なのである。
何度も書いているが、私はケチでしみったれた女だ。食べる予定がなくても、お菓子がみすみす捨てられるのは耐え難い。
私が食べればいいのだ。それで丸く収まるのである。
そう思って毎度もらってきてしまうのだが、そもそも関心のある物でもないのでやがて忘れる。
ところが今日、思い出したのだ。新たに母からお菓子を貰ったからである。
それは正直、全く食べたいと思わせるような代物ではなかった。
しかし母が「いらないなら処分しちゃっていいから。」などと言うので、私が貰わないと処分が確定される事が分かってしまった。
これは、普段のお茶飲みのお供のような、気軽なものではなさそうだ。
綺麗に包装され、どうやらお土産のようである。
チッ、しょうがない、どうせ私は最終処分場ですよ、ハイハイ、何でも承りますよ。
それを受け取ると、思いがけず重い。
お菓子とは思えないような重さだったので、包装紙から出してみた。
はっ?これ、お菓子!?
それは5センチ×15センチほどの茶色い板であった。粘土かと思った。
そこには「沖縄名産ナントウ餅」と書かれていた。
原材料名を見ると、「モチ米、砂糖、ゴマ、ピーナッツ、こしょう、味噌」となっている。
これは・・・、高いハードルである・・・。
しかも家に帰ってもう一度見たら、「固くなった時のお召し上がり方」などと書いてある。
これ、すでにコッチコチなんですけど・・・・・・。
そういえば母は、「お菓子なんかちょっとぐらい古くたって大丈夫」というようなことを言ったような気がする。
賞味期限は書いていない。
このハードル、越えられるだろうか。
越えられなければ廃棄である。
キツい。