ダルい。
ダルダルだ。
週が明けてからずっとダルダルである。
体が重い。
息苦しい。
ダルい。
動きたくない。
しかし、「ダルい」という症状は、地位が低いのである。
まず、目に見えるものが何もない。
熱はないし、顔色も普通だ。
本人の自覚症状だけなのである。これを伝えられるかどうかは、いわば信頼関係にかかっていると言ってもいい。
しかしこの「ダルい」という音の自堕落感が、同情の余地を狭めてしまう。
分かって欲しいのだが、「ダルい」と「かったるい」は同義語ではない。そっちと一緒にしちゃダメだ。
もうちょっと病的なものを帯びているのが「ダルい」なのだが、どうしても、家庭に満たされていない中年女性の昼下がりのような響きを含んでしまうのである。
ダルいと言ったらダルい。本当にダルいのだ。ああ、他に言い方はないのか。
もう洗濯も掃除も免除して欲しいのだが、まるで「お腹が痛いので体育は見学します」と言ってるような胡散臭さがつきまとう。
しかも、しっかり腹は減るので、ますます信憑性が怪しくなる。
あぁどこかにダルさを計る計器はないだろうか。
腹いっぱい食べるまま、寝て過ごしたいのだが。
中本の限定ラーメンのリミットが近づいているので、今夜食べに行く予定だ。
激辛の、大盛りだ。
本当にダルいのか??