「オレ、宇宙のコト考えると、眠れなくなっちゃうんだよ・・・。」
そんなダンナを「宇宙から来た人」とふざけて呼んでいるが、宇宙に限らず、人とは、他人に理解できないものに深い思い入れを持ったりするものである。
恐らくダンナにとっての宇宙とは、私にとっての廃墟のような不思議な魅力があるのだろう。
そういうものは言葉では説明できないもので、なかなか気持ちを共有するのが難しい。なので、ダンナが一生懸命に説明すればするほど、「あぁ生まれ故郷が恋しいのね。」などと冷やかしたくなってしまうのである。
確かに、宇宙は不思議だ。謎だらけである。
だから私などは考えることを諦めてしまうのだが、その世界は、一度足を踏み入れてしまうと帰れなくなるような恐ろしさがある。ダンナも眠れなくなる訳だ。
しかし宇宙について考えて、途方に暮れているダンナを見るのは面白い。なのでつい、酒を飲みながら話を振ったりしてしまうのである。
そもそもは、銀河系の話であった。「なんで銀河系の写真がないのか?」とダンナに言ったところ、呆れ返って説明してくれたのであった。みなさん、銀河系ってものすごく広いので、写真になんて撮れませんよ。
「光年」という単位がある。
光の速さでどれぐらいかかる距離なのか、という途方もない単位であり、宇宙の星は、軒並みその単位で離れているらしい。
「つまり、今見ている星の光は、何万光年前の光だったりするかもしれないんだよ。」
そして、もしかしたらその星は、何万光年先でもう消えてなくなっているのかもしれない。その光が地球から見えなくなるまで、私たちはその星の消滅を知らないでいるのだろうか。
なんとも切ない話である。
今見えている星で、まだ生きている星はどのくらいあるのだろう?
私たちは星の生きていた証だけを見ているのかもしれないと思うと、ロマンティックではないか。
「もう、宇宙ってなに!?」「果てしないってどういうこと!?」「膨張してるって意味が分からない!!」ほら、途方に暮れ始めた(笑)
うちの実家ではもっと哲学的に考えており、「宇宙とはどこかの冷蔵庫と壁の隙間にあるのかもしれない」と熱っぽく話していたことを思い出す。
いずれにしろ、私には考えの及ばない話だ。
ダンナは謎を、兄は哲学を追求すれいい。
私には星の亡骸を想うロマンスであるEE:AEAAB
誰か遠くで、この地球の光を見ているだろうか。