「腰が痛い」
「歯が痛い」
「膝が痛い」
良く考えてみれば、このところ母の話は体の不調ばかりである。
歳が歳だからそんなこともあろうとあまり気に留めていなかったが、変化というものは往々にして緩やかなものである。
そんな不調を毎度聞かされていても、私には何ら不思議なことではなかったのであった。
ところがついに気がついた。
母の話は、本当に愚痴だけなのである。
話を聞くのは得意な方なので、毎度初めて聞くような顔で神妙に聞いているが、喋らすだけ喋らせると最後は「もう何もやる気がしない」というところにたどり着く。
本を読んでも全然進まない。
趣味の絵も描きたくない。
夜も眠れない、もう何もしたくない。
ある時ふと思い当たったのが、「老人性うつ」であった。
母は昔気質の人間で、自分にも人にも厳しく、弱音を吐くような人ではなかった。
「もうどうせ死ぬんだから。」
そんな言葉まで出てきて、さすがに聞き役もしんどくなってきたのだ。
これはもう、素人でどうなるという領域ではなくなっているのでは。
ネットで「老人性うつ」を調べると、面白いほどドンピシャリであった。
私は母に、病院へ行くことをすすめた。
しかし、生返事で他人事のようである。
一応近所で評判の良さそうな精神科を調べたが、母の意志がなくては先に進めないのである。
足腰が弱ってきたようなので、この頃は車で買い物に連れて行っているが、その都度説得に入る。
原因は色々あるのだろうが、引き金になっているのは体の不調と思われる。
今、母を悩ませているのは断然「腰痛」である。
もうずっと、腰が痛い、腰が痛いから何もやる気がしない、腰が痛いから、腰さえ痛くなければ、・・・そればかりで、全く腰の立場はない。
ならばそこに、希望があればいいのではないか。
母の人生は今、腰痛で真っ暗闇なのである。
しかし、腰痛で真っ暗闇になる必要などないのだ、母は今、抑うつ状態なので、明かりが見えないだけなのではないか。
「腰痛の原因はなんなの?」
「何ってもう・・・、歳だからしょうがないのよ。」
「医者がそう言ってるの?」
「医者は何も言わないわよ。もう仕方ないのよ、これは。」
「聞いてみたら?」
「もう筋肉が弱いからどうしようもないんだって。」
「じゃあハリとか、アプローチを変えてみたら?」
「どうせハリなんか効かないわよ。」
「コルセットとかで少し楽にはなると思うけど・・・。」
「あれもあんまりねぇ・・・。」
「使ってないの??」
「だって、おトイレ行く時が面倒で・・・。」
「コルセットの上にパンツ穿けばいいじゃん!」
「そうだけど・・・、どうせあんまり・・・、ねぇ・・・。」
「病院変えたら?何か違う治療法があるかもよ。」
「一度変えたんだけど、ダメだったわ。」
「そこではどうしたの?」
「何か注射したりしたけど、何度も通わなくちゃならないのよ。」
「効かなかったの??」
「2、3回しか行ってないわ。どうせダメよあんなの。」
じっとしてると良くない、動くと良くない、薬は効かない、医者もアテにならない、母の話を聞けば八方ふさがりである。
というか、八方ふさいでいる感じである。
これでは救いはない、うつにもなろうが、これはやはり腰が先ではなく、精神科が先ということなのだろう。
「そんな毎日じゃつらいから、一度精神科に・・・。」
「精神科なんか行ってもどうせねぇ。」
強制連行の日は近い。