人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

オーマイジーザス

給料が入ってまずやった事は、焼き肉を食べたことだ(笑)

とは言っても安いチェーン店が半額サービスをやっていたからで、以前から決めていたのである。

極貧生活の反動ではない(笑)

しかし、焼き肉と言ったらビールである。

バスと徒歩で行けない事もないが、車で行ければより快適だ。

こんな時のために、20万、先払いしてあったのだ。

娘ぶー子の運転で。

彼女をアシに使う代わりに、教習所の金を払ったようなものだ。

ついに念願叶って、「自家用車で酒を飲む(注:車では飲みません。飲んだ事もなくはないが。)」時がきたのである。

単純に「ラッキー♪」というのもあるが、娘の運転で飲みに行く事は夢だったのである。

しかしだ、それにはひとつだけ問題があった。

まだぶー子が運転し慣れていないという事であり、私はそれが物凄く不安で怖いという事でもある。

仮免の時に一度だけぶー子の運転で乗ったが、安全が保障されていない乗り物の恐怖は、絶叫マシーンの恐怖をも超えるのである。

あれ以来私は一度も一緒に乗っていない。

しかし、ぶー子には運転させないと、いつまで経っても上手くならないのである。

そこで時々ダンナが同乗して近所を走っていたが、月に一度程度である。安心までは程遠い。

「ブレーキ、どれだっけ?」乗るなりぶー子は言った。おいおい、頼むよEE:AEB64

軽く飲んでいい気分になってはいたが、あの恐怖が蘇る。

まずは、広いが交通量の多い所沢街道に出なくてはならないが、「焦って出なくていい、いくらでも待つから余裕を持って出れる時に出ろ」と何度も言うと「ウルサイ!」と一喝される。

もう駄目だ、ここから全ての選択権はぶー子に委ねられたのである。

私は後部座席で丸くなって目を閉じた。

早く着いてくれ、しかし飛ばさないでくれ・・・。

目をつぶった事で周りの状況は見えなくなったが、時々ドドドドド・・・・、とノッキングする振動が伝わってくる。

その度に「所沢街道のど真ん中でエンストするEE:AE5B1追突されるEE:AE5B1」と恐ろしくなり、こっちがパニックになりそうだ。

気をそらせ。

他の事を考えて、頭の中を一杯にするのだ。

その時私は、今読んでいるインドの生活についての本を思い出した。

彼らは非常に信仰深い民族だが、実に良く神の名を唱えるとの事である。

もちろんそれは命乞いではないが、「徳が上がる」と言われているようで、何かにつけて、何かにもつけなくてもとにかく良く唱えるらしいのだ。

そこで私も神の名を唱える事にした。

この場合、それが一番しっくりくると本気で思ったのだ。

「イエス・キリスト、イエス・キリスト・イエス・キリストーぃEE:AE5B1

メジャーどころをもってきたが、唱えている間に気がついた。「イエス・キリスト」というのはどこの言葉だろうか?日本語読みだった場合、通じていない可能性がある。

しかし彼の母国語(母国がどこかすら知らないが)での呼び方など、知る由もない。

そこで、少しでも通じる可能性を上げるべく「ジーザス・クライスト、ジーザス・クライスト、ジーザス!!」と、最も世界共通語に近い英語読みで唱える事にした。

しかし、それだけではまだ心に隙間がある。

神を思い描くのだ、その姿を。

私はキリスト像を頭の中に描き、それに向かって彼の名を繰り返した。

ジーザス・クライスト、ジーザス・クライスト。

何となく心が落ち着いてきたような気がしたが、途中でふとそれはキリストではなく、マリア像であることに気がついた。

間違えたEE:AE5B1こっちこっち。

私はキリストの姿になど詳しくはないので、十字架にかけられたごく一般的なキリストを思い浮かべた。

彼は我々人間の罪を背負い、掌と足を釘で打ちつけられ、盗人と一緒にゴルゴダの丘に晒されたそうだ。

酷い仕打ちだ、今の私の恐怖など、なんぼのものか。

やはり神は神である。

私は己の小ささに気付き、ぶー子の運転ごときで小さくなっていることが馬鹿馬鹿しくなってきた。

しかし目を開けて現実の世界に戻ると、あっという間にあの恐怖が舞い戻る。

所詮私はちっぽけな人間だ。怖いものは怖いのである。

しかし神も凄いが、助手席で顔色ひとつ変えずに乗っているダンナも相当強い人間だと思う。

次回はダンナの名前でも唱えてみるか。