人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

オドリマショウ!!

サンバねえちゃんの腰に手を回し、連なって踊りだした第一号はなんと、この私であった・・・。

席は前から2列目のど真ん中であった。

私達の周りは品の良さそうな客ばかりで、サンバの曲がかかっても、セクシーねえちゃんが挑発してもビクともしない典型的な礼儀正しい日本人であった。

後ろを振り向けば全員と目が合いそうで怖く、私達は浮いていないだろうか、そんな心配をしながら手を振り上げ、奇声を上げていた。

そんなんで目をつけられていたのだろうか。

踊りながらステージを下りて来たブラジル娘はまっすぐにこっちに向かってきて、「オドリマショウ!!」と私達を引っ張り出したのである。

まぁ踊りたくて来たのだ、ある意味願ったり叶ったりの展開なのだが、あれはやはり一度は「いえいえ、踊りなんて」というアクションをするべきだったのだろうか、日本人らしく。

正直なもので、待ってましたとばかりに席を立ってしまったのである。

ねえちゃんは他にも「オドリマショウ!!」と声を掛けて回っていたが誰も席を立たず、結局私たちだけを連れて練り歩き(練り踊り?)出したのであった。

途中途中で「イッショニオドリマショウ!!」と声を掛けていく。

私もテンションが上がっていたので、「コイツはヤる」と思った人を煽っていく。

リクルートの甲斐があり、列はどんどん長くなっていったのだった。

列に加わるのは同じ穴のムジナ、情熱家か酔っ払いである。

大いに盛り上がりながら端の席まで踊り歩いて行く。

行き止まるとそこで列を崩してひと踊り、そしてねえちゃんの一声で撤収だ。

く~~、楽しかった。

みんなで狂ったように踊りまくった。

席に戻るとダンナが座っていた。

えっ!?後ろにいたんじゃないの??

「いつからここに??」あんなに踊りたがっていたのに、何をしてたんじゃい。

「や、ふたりで行っちゃったら荷物が心配で・・・。」

A型である。

本当にこんな時彼は、可哀相なぐらいA型なのであった。

この練り踊りがショーのクライマックスだったようで、ステージに戻ったねえちゃん達は別れを告げて去っていった。

あ~~楽しかった、と何度も言いたくなったが、ダンナが気の毒で私も努力して平静を装っていた。

なのでここで声を大にして言うが、あ~~~楽しかった!!

ショーが終わると花火だ。

お盆の特別プログラムとの事だが、こちらも素晴らしかった。

人間は感動すると、涙がチョチョ切れるんだなぁ、と毎年思うのであった。

これでもう充分、という程満たされていたが、なんと最後にまたサンバねえちゃんが現れ、「ミンナデオドリマショウ!!」をやってくれたのである。

今度は前に座っていた若い女性グループがすぐに立ち上がった。

そうこなくっちゃ、と振り向くと、大勢の人がこちらに集まってきて、逆に「ホラこっち来て!!」と誘われるほどであった。

音楽が止み会場に静寂が戻ると、心地良い疲れに身を委ねながら余韻に浸った。

「ねえ、この興奮をこのまま持て余して帰るの?」

「??」

「行かない、って言ったけど、アナタが行きましょうと言ってくれれば、それは約束を破った事にはならないよね?」

こうしてアッサリとP行きが決まったのであった。

しかしダンナはPに着くと、ワインのハーフボトルをグラス1杯分だけ残して、寝てしまったのだ。

なので私はダンナの肩を揺さぶって、「アナタがこの1杯を飲み終わったら帰ろうね。」と言い、減る事のないワインを時々確認しながら、自分は好きなだけ飲んで帰ったのであった。

全く個人的な話になってしまうが、この日知り合ったご夫婦がディスコさんで、とても貴重なCDをくれたのだ。

家が近いから、と言ってわざわざ焼いてきてくれたのである。

目が覚めたら私はソファの上だったが、このCDがリピートでずっとかかっていたようで、懐かしいナンバーが流れていた。

この頃は80年代のディスコソングのCDも数多くリリースされているが、どうしても手に入らない曲、というのもまだたくさんある。

「その1曲」のために1枚のCDをネットで買ったりしていたのだが、これは本当に嬉しい1枚であった。

バースデーをやった人だけがもらえるCDである。

さて、今日は高尾山を登る予定だったが、結局どう過ごしたかはご想像の通りである。

サンバねえちゃん、美人揃いでした。

記念に1枚EE:AEAC5