人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子56歳。

「生きる」ということ

寝不足→二度寝・・・、の繰り返しである。

どこかで我慢しなくちゃいけないんだろうが、眠いのを我慢して起きているより、眠れないのに寝ようとする我慢の方がマシだ。

そう思って毎晩布団に入るのだが、眠れないものは眠れないのである。

やはり二度寝をやめなくてはならないか。

肌寒いほど涼しい1日であった。

私がなかなか起きれなかったのは、布団(365日出しっぱなし。こんな日にはラッキー♪)にエルが入ってきたこともある。

全く猫とは、天使の誘惑である。

目が覚めても新婚のアメリカ人のように、チュッチュキャッキャと戯れてなかなか布団から出られない。

これは寝不足のせいではない、私がグータラなせいなのだが。

それでも、手帳に今日の予定を書き込むことから始まる1日だ。

1つ何かをやり始めると、イモヅル式にあれもこれもやるべき事が出てくるのが家事である。

なのでなかなか予定通りには行かないが、やり残した事は翌日に持ち越せばいいのだ。

手帳に書いてある限り、忘れることはない。

3月から再び始めた手帳生活は、何とか身に付いたようである。

自分でも驚きだが、勝因は、と聞かれると「自分に合った手帳に出会った」というだけの事である。

前回のほとんど使わなかった手帳は、今日の掃除でやっと捨てる決心がついた。

予定通りにパソコン周りの整理から始めたが、雨が続いて花の水遣りをサボッていた事をふと思い出したのだ。

ほとんどの草花が死に絶えた庭である、水が必要な鉢はもう3つほどしかない。

「ほど」、と言うのは、諦めて見捨てかかっているのがその他にあるからだ。

そして残った3つとは、1つは暑さに強いもの、1つは瀕死、1つは瀕死だったところを1年かけて母が生還させたものだ。

まるで悪い疫病が流行ったかのように、茶色くやせこけた草が、まだあちこち鉢に入ったままになっている。

「あら奥さん、やっちゃいましたね今年も。」的な恥ずかしい庭なので何とかしたい気持ちは山々だったのだが、いかんせん暑くて庭に出る気力がない。

だから草花が死に絶えたのだが、おおそうだ、今日はこんなに涼しいのだ、今日のうちに納棺を済ませてしまおうじゃないか。

暑くさえなければ大した作業ではない。

引っこ抜いて、ゴミ袋に入れる。

こうして枯れたものは姿を消したが、先の3つと見捨てかかったものだけが残された。

こうなると哀れなのは、見捨てかかったものである。

冬の間トイレに置いておいた観葉は、日照不足か良く育たなかったので、外に出したのである。

夏になるまではグングン育ったが、ここまで暑くなると今度は参るのか、どんどん元気をなくしている。

それを見ると気が重くなり、直視できなくなってくるのだ。

気まぐれに水をやってたが、そうか、またトイレに戻したらいいんじゃないか。

生きているのに見捨てかかっている後ろめたさが常にあったが、この思いつきで私も救われた。

ついでに、もう1つ諦めかけていたエニシダは、地面に穴を掘って植え替えた。

こうすれば水をやらなくてもある程度は大丈夫らしいのだ。

庭仕事をやると、すごく頑張った気持ちになる。

お陰で家の中の仕事がほとんど明日に持ち越しになったが、二日酔いで寝てたりした訳じゃないのだ、すがすがしい気持ちである。

二度寝しなければ、もっとすがすがしくなれただろうが。

ああしかし飲みたい。

今日は飲みたい。

生きるって、大変。