越谷レイクタウンにて。
この広大なショッピングモールには、私達家族の大好きな「ヴィレッジ・ヴァンガード」系列の店が3軒も入っている。
飲食店の方も入れると4軒だ。
それだけでも、充分楽しめる場所なのであった。
ヴィレッジ・ヴァンガードには雑貨、おもちゃ、書籍、お菓子、と何でも揃っているが、一応肩書きは本屋なのだと知ってちょっと驚いた。
確かに、単なる雑貨屋としては本の品揃えが多く、またその内容も充実しているのでなるほどと思いもしたが。
毎度「今日は何も買わない、見るだけだ」と決めておきながら、毎度必ず何がしかの本を買ってしまうのである。
森ゾーンにあるヴィレッジ・ヴァンガードは今日初めて入ったのだが、本の売り場が独立していて、サンプルをゆっくり読めるようにイスまで用意されていたのだ。
本はジャンルごとに分けられていて、私はもう疲れていたこともあり、「ペット」のコーナーのイスに座って猫の本を読んでいた。
そこへ娘ぶー子がやってきて、「あ!これだよ、これ!!」と言って1冊の本を取り出したのだ。
「チロ、愛死」。
反射的に「うわっ」と言って、思わず引いてしまった。
その話をぶー子から聞いてからもう1年ほど経つだろうが、強烈だったので私はタイトルまでしっかり覚えていたのである。
その日ぶー子は何となく入った本屋で、この本を見つけたのだ。
写真集である。
なんじゃこりゃ?と軽い気持ちで手に取ったそれは、荒木なんとかいう写真家のもので、チロとは彼の愛猫であった。
独特の雰囲気を持った写真集であった。
恐らく趣味か本業か、女性のヌード写真や仏壇、フィギュアの散りばめられたベランダなどの強烈な写真と、チロの写真が同時に収められていた。
その繋がりのなさが異様で、不思議な気持ちでついページを繰ってしまう。
チロは決して小奇麗な猫ではないが、とりすましていないチロの日常が写されていて、荒木氏に愛されていることが伝わってくる。
ヌード、チロ、ヌード、チロ。
何が言いたいのか?
しかし、少しずつ変化は現れていた。
チロがどんどん痩せ衰えてくるのである。
相変わらず片方のページは青空や女性が写っているが、とうとうチロは血を見せるようになり、横たわる写真ばかりになった。
「オレ、もういい・・・。」ダンナはそこで席を外した。
しかし私は手を止めることができなかった。
先を見るのは怖かったが、荒木氏の力か、チロの力か、嫌な予感は満載だったが私は最後まで全て見てしまったのである。
チロはグッタリしている。
反面、変わらぬヌードやある時は子供達の笑顔。
やがてチロは死ぬ。
花に埋もれて棺に納められているチロ。
隣の写真も、花に埋もれて棺に入っている女性(後で知ったが、これは亡くなった奥様との事である)である。
そして荼毘に付されるのだが、横たわるチロ、次の写真はまったく同じポーズの骨となったチロである。
そしてコートを羽織り、骨箱を抱える荒木氏。
あとはただ空、空、空・・・、最後は「自分はチロをとても愛していた」というような言葉の走り書きで終わる。
ぶー子を恨んだ。見たくなかった。見るんじゃなかった。
写真家である荒木氏は、大好きなチロを撮り続けた。
愛らしい表情でこちらに目線を向けるチロも、病気でボロボロになっていくチロも。
これは、愛なくしてできる事ではない。
チロのために捧げたであろうこの1冊、そしてチロの生きていた証となるこの1冊を、しかし私は「見なければ良かった」だけでは済ませることはできない。
そこにある激しいまでのチロへの想い、そして残された悲しみ。
それを観た私達も、チロという存在の証人となったのだ。
私は荒木氏に伝えたい。
あなたの愛猫は確かに生きていた。
そして確かにこの世を去った。
しかしその存在は、会ったこともない私にもしっかり刻まれたと。
ぶー子がこの本を手に取ったときには、たまたまiPodで音楽を聴いていたそうだ。
それがBGMの役目を果たし、非常に辛かったとのことだ。
簡単に想像できる。
BGMもなくササッと流すように見ただけでも、あの衝撃である。
私もいつか、見る人を感動させるような写真が撮れたらいいなぁと思うが、この本はその境地である。
チロ、愛死・荒木 経惟
ぶー子がその時聞いていた曲。←クリック