ああくそー、眠いEE:AE4E5
何だってこう起きれないのだッ。
目覚ましも鳴るには鳴っているが、何度か消すと完全に止まり、鳴らなくなってしまうのだ。
ダンナが寝室に着替えに入ってきて、やっと起きる始末である。
点数制度の「ネットサーフィンしない+1点」は「テレテレしない+1点」と合体させたので、空いた所に「一番に起きる+1点」という新しい目標を設定したのだが、まったくダメだ。
どんなに頑張ってもこの項目のせいで満点が取れない。
毎日亭主より遅く起きるってどんなよ~EE:AEB64
毎日、義母のお骨に向かって謝っている。
目覚ましを消している意識がない時もあれば、ある時もある。
しかし、どちらにしろ意識の問題だ。
目覚ましは止めているんだから、一度は起きた瞬間があるのだ。
それに気付かないのも気付いて起きないのも、単なる甘えである。
分かっちゃいるが、なかなか起きれない。
そのうち5分おきに目覚ましを消す事がデフォルトになり、「起きる」という意識は遠のいていく。
これを毎日繰り返していると、朝寝坊もデフォルトになる。
しかし後ろめたさもデフォルトなので、いい加減罪悪感でウンザリしていたのであった。
西郷さん、何とかしてよ。
私はこれまで午後出勤だったので、週に一度の朝礼と言うものにはほとんど出た事がない。
たまに午前出勤を頼まれる事があり、皆無ではないが、そんな時にはまるでどこかの宗教団体にでも紛れ込んだように戸惑ったものだ。
別に変な事をしている訳ではない、自分だけ理解できていない様子の例えである。
その中で、「職場の教養」という冊子の感想をいう時間があった。
「職場の教養」とは、その名の通り職場の教養のためのものだが、硬いお勉強ではなく、自己啓発的なものだ。
日記形式で1日ひとつ、経験を語り、気付きを教えている。
例えば3月15日は「失敗はチャンス」と題して自分の失敗談を語り、「失敗を前向きに受け止め、そこから学ぶチャンス」だとシメた。
これらの中からひとつ選び、感想を言わなくてはならないのだ。
それはその日の司会と、司会が指名したひとりであった。
一応司会が指名する人は事前に決めているか予感がするかで抜き打ちのような事にはならないのだが、先日月曜に朝から出勤した時に、私が指名される役になってしまったのだった。
朝礼に出ていなかったために、5年も勤めてこの役を一度しかやった事がなかったのだ。
もうすぐ辞めるし自然な成り行きだから文句はないが、準備もない(笑)
慌てて適当にひとつ選び出し、感想を頭の中でまとめる。
そして私が選んだのは、3月16日の「西郷式早起き法」であった。
早起きできない理由はたくさんあります。
でも些細な理由を克服して爽やかな1日のスタートを切るには、目が覚めたらすぐ起きるという一見簡単な、しかし深い実践を繰り返す事が必要です。
起きようか起きまいか迷っている暇はありません。
目覚めの瞬間は、決断力のトレーニングをしているようなものです。
西郷さんも、頑張りました。
簡単に言うとこんな感じだが、「目覚めの瞬間は、決断力のトレーニング」!!
この言葉に感動した。
実はこんな私もほんの一時期だが、若い頃、目が覚めたら迷わず起きるという事を実践していた時期があったのだ。
迷ったらいかんのだ。
何時に起きたって、起きる時の苦痛は同じなのだ。
起きて5分もすれば、1日が始まるだろう。
迷う時間は損なのである。
どえれー、損してきたな。
私はこの素晴らしい発想を朝礼に皆に語り、忘れていた西郷の日々を思い出した喜びでいっぱいになった。
やればできるのだ。
できた実績があるのだ。
く~~、生まれ変われる予感。
「え?早起きじゃんEE:AEACA」ダンナは先に起きて猫のご飯を用意していた私を見て、驚いたように言った。
私も西郷も、同じ人間である。
考えてみれば「ダンナより早く起きる」なんていう目標など、あまりにも低い。
何かの試験に受かるだとか、何かができるようになるだとかに比べれば、誰にもできる簡単なことなのである。
あの朝礼から二週間を要したが。