人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

東京都東村山市・第3グループ

我らが第3グループの計画停電は、午後6時20分~10時の予定であった。昨夜。

しかし、停電停電と言って、この辺は全然停電しないのである。

どうやら東京は後回しにしてくれているようだと、勝手に思っていた。

しかし、絶対と言う保証はない。

もし停電したら、夜なのだ。最低限、灯りは必要になってくる。

それぐらいは準備しなくちゃならないか。

面倒だ。どうせやるまい。

でも停電になった時、真っ暗は困る。

重い腰を上げてグルニエに上がったのは、もう6時を回ってからであった。

キャンプ用の大型の懐中電灯と、ランタン(ランプのようなものである)があるはずだ。

しかし見つかったのは懐中電灯の方だけで、ランタンは燃料だけが大量に出てきたのみである。

時間も迫っていたのでそれだけ持ってリビングに下りたが、案の定時間になっても、電気は切れなかった。

なので私は、ブログの下書きを始めたのである。

得てしてそういうものだが、それは突然来た。

予定時間を20分ほど過ぎてから、突然バンッと全ての電気が切れたのである。

ハッキリ言って、とても怖かった。

突然暗闇に放り出されたのである。

あわわ、と声にならない声を出し、ヨロヨロと懐中電灯を置いたあたりに向かったのだが、真剣に置かなかったので場所を良く覚えていない。

祈るような気持ちで手探りであちこち探っていたら、意外と早く見つけられたので助かった。

灯りのなんと有難いことか。

懐中電灯がひとつついただけで、かなり不安と恐怖感が取り除かれた。

しかし、まずは途方に暮れた。

何もできないのである。できる事がないのである。

テレビがつかない、パソコンもゲームもできない、暗い。

これだけで、私の娯楽は全くなくなった。

例えば本を読もうと思えば読むことはできるが、そういう気分になれないのである、暗がり。

とりあえず、風呂のお湯が冷める前に入っておこうと思い立ち、風呂場に向かう。

お湯は出ない。

湯船のお湯を使ったので、水位がかなり下がってしまった。

尻を奥の方に滑らせて辛うじて肩まで浸かり、どうせやることもないし部屋はどんどん冷えていくだろうからといつまでも湯船に入っていた。

風呂から出ると、いよいよやる事がない。

晩御飯の支度を全くしていなかったが、この暗がりでは手元が危ないし、その前に流しを片付けなくてはならない。

お湯は出ないだろうし、調理はすぐに諦めたのだ。

しかし、何をする?

時々メールが来たのがささやかな娯楽であった。

しかしそれが途絶えると、全くの静寂である。

何かをしたい。していたい。

孤独に飲み込まれてしまいそうである。

で、何をしたかと言うと、掃除である(笑)

停電のせいで勤務時間が変わって生活サイクルも変わったが、順応できずに「やらなくてはならない事」に限ってやる気にならないまま時間が過ぎていた。

しかし、なんなんだ、このやる気は。

ここまで娯楽を封印されないと、掃除もできない状態になっていたのか。

随分前に来た「ねんきん定期便」の返信をした。

何度か来たが、読むのが面倒で意味が良く分からず放置していたのだ。

特に訂正する部分はないという事だけは分かっていたが、昨日良く読んだら、変更する事がなくても必要事項を書き込んで送り返さなくてはならないようであった。

ダイニングテーブルに着き、用紙を広げ、懐中電灯の明かりだけをたよりに静かにボールペンを走らせる。

こんな時じゃなくては楽しめない、究極の娯楽であった。

私は集中してテーブルに向かっていた。

やがて、アロマキャンドルの存在を思い出したら、ますます気分が盛り上がってきた。

キャンドルの柔らかい光にアロマのラベンダーの香り。

数時間なら悪くないかも、そんな気持ちにすらなった。

電気がついたのも、突然であった。

騒がしい世界が戻ってきた。

今回のほんの2時間の停電で、私はいかに無駄なものに中毒、麻痺していたかを思い知った。

と同時に、電気の有難みも身に沁みた。

これは私達への警告になるだろう。

原発の事故も、人類への罰なのだろうか。

そして、被災地の人々へ思いを馳せた。

極寒の暗がりで余震に耐える多くの人々。

今日のニュースでは、病院から避難所に搬送された10数人が、亡くなったと聞いた。

そんな悪条件下で暮らしている被災者。

何とかしてあげて、と言ってただ節電をしている自分が情けない。