人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

『幸せ』に投資する

神様は、人間の人生に無駄な経験など与えない、と思うようにしている。

失敗にも不快な出来事にも理由があり、いつか必ず自分のためになるようにできているのだと。

最近は更に経験値を積んで、「自分に足りないものを補うチャンスを与えられている」と思うようになり、ずいぶん救われるようになった。

が。

どうしても我慢ならない事がある。

洗濯物が濡れることだEE:AE4E5

で。

濡れたのだ、昨日の雨で。

午後、会社に向かうまでは快晴であった。

天気予報はどうなっていたかは知らないが、あれで雨の予感などする人は一度医者に診てもらった方がいい。

昨日も書いて繰り返すと自慢のようだが、昨日は洗濯機を2回、回したのだ。

単なる2回ではない。

「月曜日の2回」である。

それが何を意味するか分からない方に簡単に説明すると、二日酔と寝不足と週が明けた精神的苦痛で血液が鉛になっている状態の2回、という事である。

さらに言うと、大判のバスタオル(「仏恥義理」のバスタオルだ。エルのシーツにしたが、また人間用に戻ったのだ。)とダンナのシーツも洗った。

これが全部濡れたのだ。

神よ、これは一体何の試練か?

いつ、どのように私のためになるのか?

雨に気づいたのは仕事中であった。

外が暗いと思ったら、窓が濡れていた。

FUCK、早く取り込まないと。しかし仕事中である。

私は洗濯物がずぶ濡れになり果てるのを、黙って待つのみである。

失敗というのは「気がつかなかった」「分からなかった」という自分の落ち度から来るべきもので、分かっていながらというのは確信犯である。

なのに私は、「雨が降っていて」「取り込むべきだ」とまで分かっていながら、ただそれを受け入れなくてはならなかったのだ。

洗濯雨の悔しさはそこにある。

仕事が終わって会社を出たら、日が差し始めていた。

仕事仲間は「神が降りたw」と言っていたが、私はまるで天罰でも食らったような気持ちだ。

いっそ自分もズブ濡れにでもなれば、自然の驚異の下では仕方がないのだと諦めもつこうか、私には神の高笑いが聞こえた。

昨日の天気予報は見なかったが、翌日からはずっと雨か曇りと言っていた。

晴れならこのまま干しっぱなして乾かすぐらい全く平気なのだが、それすらできやしない。

取り込んで、洗いなおして、干す。

全部濡れているのだ。

一気にカタをつけないと、カビが生えそうだ。

とは言っても、シーツに大判バスタオルまで、どうするんだ!?

どうしもできない、その2枚だけは濡れたまままだ洗濯機に入っている。

そこでぽ子の頭は容量オーバー、知~らんぺったんゴ~リ~ラだッ。

それにしても、取り込んだ洗濯物は雨をじっとり含んで非常に重くなっていた。

濡れた大量の洗濯物の入ったカゴを引きずるように持ちながら、「・・・これも試練(泣)」と歯を食いしばった。

幸せへの先行投資である。

きっとこの苦労の分だけ幸せがやってくる。

そう思って収まりをつけたのだった。