手紙を書いた。
携帯やパソコンが普及して、手紙を書くということをほとんどしなくなっているが、恐らくそれは私だけでなく、若者を中心に多くの人に起こっている現象であろう。
少なからず私のような思いをした人はいるんじゃないかと思う。
文字が退化してるのだ。
何も象形文字になっているとかではない。
ヘタクソなのだ、字が。凄く。
もともと上手くもなかったが、中学生ぐらいの時に書いていたような字になっているのだ。
私は字の美しさとそれを書く人間の教養の高さは比例すると思っているが、この字は間違いなくバカである。
バカの中でもアホなバカだ。
能天気なクセ字がそれを物語る。
普段はメールでやりとりしている相手に、初めてさらけ出す私の字だ。
彼女の住所を調べるにあたって、私は彼女からの年賀状を引っ張り出してきたのだが、そこにはとても可愛らしく、かつ美しい字が、私の今年の幸せを願っていた。
確実に自分より教養のある人間に、バカをさらけ出すには勇気が要ったが、手紙には手紙にしかない暖かみがある。
私は暖かみのあるバカを選んだのだ。
「アヤさま」
堅苦しくならないように「様」を平仮名にしたが、クセ字と相まって、のっけっからバカっぽさが炸裂してしまった。
私は途中まで頑張ったが、途中から諦めて自分の馬鹿さ加減を受け入れた。
頭のいい人間の真似事なんてしても、頭のいい人間には見抜かれてしまうのだ。
出来上がってみると、字の汚さだけでなくレイアウトも悪く、また紙に対してやたらでかい字がますますバカで、救いようのない低脳な手紙になっていた。
しかし何度書き直してもこれ以上良くならないことは分かっていたので、観念してそれを折って封筒に入れた。
宛名を書いたら字を間違えてしまった。
1本でいい横棒を2本書いてしまっただけなので、黒く塗りつぶして1本にしたが、もちろんこれでますますバカに磨きがかかってしまった。
しかも宛名、本で言えばタイトルである。
情けないので新しい封筒に書き直したが、うさぎが描かれた可愛らしい封筒である。
私の馬鹿文字を書きかけただけでその一生を終えたのだ。
こういう非道は耐えられないが、メモに再生もできす、宛名まで書かれていてはどうにも救いようがない。
先日見た「子ぎつねヘレン」程度の悲しさはある。
それにしてもこの頃字を書こうとすると感じるのだが、どうもボーッとして遠い世界にいるようである。
まるで酔っ払って書いてる感じなのだ。
その理由が今日分かった。
字がうまく見えてないのだ。
私はずっと視力1.5以上を保ってきたが、この頃近くが見えにくくなってきた。
それは予想以上に早くやってきたのでまさかそいつだとは思わなかったが、まさにそいつである。
そのまま書くと屈辱的なのでそれを「人間が成熟してくると、目に現れる現象」とでも言っておくが、それが原因で便箋に向かうと酔ったように視点が安定しないのだ。
そんな事は字がうまく書けない理由にはならないが、確実に集中力は欠く。
あぁ、もうこんな恥さらしの字を書きたくはないのだが。
ならば練習するしかないが、何を書いたらいいのだ。
日記ならブログで書き尽くしているし、写経のようにお手本と同じことをただ書くのでは苦痛である。
かといってイマジネーションを必要とする事には、エネルギーも時間も要る。
ところでダンナは先日、突然、習字を始めた。
娘ぶー子が昔学校で使っていた習字の道具を広げ、半紙に大きく「三」と書いた。
ダンナに何が起こったのかと心配したが、つまるところは私と同じ事である。
習字も悪くはないが、あれだけ準備と片づけが面倒だと、長くは続けられない気がする。
結構切羽詰まっていろいろ考えているところだが、念のため、「奥の細道」を書く気はない。
歴史の参考書でも写して、ついでにちょっとおりこうさんになってみるか。